【深】から【昇】へと高める力

 先日、皆既月食が全国で起きました。また、月が天王星を隠す「天王星食」も見られたようです。皆既月食と惑星食が同時に起きたのは実に442年ぶりとのことで、夜空を彩る天体ショーに感動した方も多かったと思います。その様子を撮影した画像が、かつての教職員仲間から送られてきました。442年ぶりという珍しい現象が納まった画像よりもまして、苦楽を共にした教職員の皆さまとの“稀有なつながりの不思議さ”に、私は感動を覚たのです。
 「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」(注1)
これはフランスの作家サン=テグジュペリの言葉ですが、私は常々、“人は人によって鍛えられ、成長し、慈しみのある豊かな心になる”と思ってきました。そして、ひとりの人を徹して大切にすることが、自分自身の心を豊かにすると思ってきました。

 私が、小学校で5年生の学年主任をしていた頃のことです。この学年には、教員1年目のS先生がいました。念願の教師になり、新学期当初は張りきって学級の子どもと向き合って奮闘していました。しかし2学期の半ばころから、学級の子どもたちとの心の距離を感じ始めていたのです。
 そんな中、11月の学芸会に向けての準備が始まりました。学芸会には主役と脇役があって平等な役割分担ではない等の理由から、最近は学芸会を行わない学校が多いようです。とは言え、子どもの表現力育成に効果的な行事でもあるので、この学校では取り入れていたのです。
 学芸会の学年テーマを「みんなが主役、みんなでつくる学芸会」とし、ストーリーは子どもたちでつくることにしました。
─── 新しいクラスになり、知り合った当初は、まだお互いの関係がぎくしゃくしていた。でも、さまざまな困難を、一緒に乗り越えることを通して、徐々に友情が芽生えていく ───
こんな日常の学校生活を描くことになりました。そして、ストーリー展開に沿いながら、それぞれの場面のセリフと状況設定を、学年児童全員で考えていきました。

 S先生の学級にいたA君は、下校後にみんなが遊んでいるところに遭遇し、遊びの仲間に入れて欲しいと願い出る場面のセリフを考えました。口数が少なく、目立つことを好まない・・・そんなA君だから、多くを語らなくても自分の思いが伝わる言葉を考えに考えたのです。  
 「僕も、その遊びに入れて欲しいよ」
セリフは、このたった一言でした。彼は、このたった一言に、自分の思いすべてをかけたのです。ところが、どんな状況設定にすれば最も自分らしい表現になるかが定まらず、一人黙々と悩み、考え続けていたのです。
 A君が日々悩んでいる様子を察したS先生は、どのように指導すればいいかを私に聞いてきました。この状況を乗り越えると、S先生はひと回りもふた回りも大きく成長すると思った私は、「指導というよりも、A君と一緒に悩み、考え抜くことだよ。そうすることで、A君がどうして一言だけのセリフにしたかの気持ちが分かってくると思うよ」と、アドバイスしました。それ以来S先生は、「僕も、その遊びに入れて欲しいよ」の一言を、A君の立場に立って同じように黙々と悩み、考え続けていたのでした。
 ある日、S先生が仕事を終えて駅へ向かう途中、A君の姿を目にしました。彼は自転車を押しながら、実に和やかな雰囲気で友達と談笑していました。学校ではあまり見せることのない彼らしいこの光景を見た瞬間、S先生は、ひらめいたのです。
─── そうだ!自転車を押しながら、「僕も、その遊びに入れて欲しいよ」のセリフを言うのが、A君にぴったりと合うのではないか!───
 その後、迎えた学芸会。A君の自転車を押しながらのたった一言は、演目の中でなくてはならない言葉になっていたのです。
 S先生とA君。二人は学芸会という学校行事を通して、それぞれの可能性を開花したのではないかと私は思います。S先生はA君のために悩み、考え抜いた結果、“新人教員から、一歩一人前の教師”へ。A君はS先生のひらめきにより、“自分らしい表現での演技”ができたと言えます。そしてこの学芸会を通して、S先生と学級の子どもたちとの心の距離も、少しずつ近づくようになったのです。

 前々回のコラム「乗り越える力」(2022.10.25)で、「困難な状況こそが、自身を深めるためにも必要なもの」であり、「ピンチは、深化であり、昇華へと高まる好機」であると述べました。S先生とA君も、共に悩み、考え抜いた結果、まさに【深】から【昇】へと成長・発展したと言えるのではないでしょうか。ここで重要なのは、【深】から【昇】へと高める力のひとつが、“共に悩み、考え抜く、絶妙な人間関係”にあるということです。
 教師と児童、管理職と教職員。さらに敷衍ふえんして、自分と周りの方々。つまり、自分をとりまく方々との“豊かで絶妙なつながり”が、【深】から【昇】へと自分を成長・発展させる要因のひとつであると言えるのではないでしょうか。また、そのように捉えることが正しい生き方であると、コロナ禍が続く今だからこそ、より一層強く思うのです。
 私自身、今もさまざまな方とのつながりが生まれていますが、豊かな人間関係を築かせていただき感謝の念に堪えません。

 皆既月食から満月が顔を見せ始め、再び秋の夜空に輝きを放っていました。
─── 皆さん、お元気ですか。毎日大変な状況が続いていますが、どうか、みんなで力を合わせて、仲良く朗らかに乗り越えてください。私はずっと、空から見守っていますよ ───

 ~ 時には、月と語る心の余裕を、と思う秋の夜 ~  (勝)

(注1)「人間の土地」 サン=テグジュペリ 著、堀口大學 訳、新潮文庫、1955年4月発行、2012年12月 84刷改版、2015年6月 87刷、45頁から引用。

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