乗り越える力

 それは、私が小学校教頭時代のことです。仕事からの帰り、電車を別路線に乗り継ぐため、改札を出て次の改札へ向かう途中、開店間近のレストランのチラシを配っている青年がいました。私は急いでいたので、その青年の横をすり抜けようとしたのですが、青年から呼び止められたのです。
 「もしかして、勝本先生ではありませんか?」
 「そうですよ。ひょっとして、A君ではありませんか?」
 「そうです。Aです。先生久しぶりです。今度、このお店がオープンするので、ぜひ、来てくれませんか?」
 「近いうちに行かせてもらうよ。ごめん、今は急いでいるので」
 彼と別れた後、徐々に私の記憶が蘇ってきました。 ─── 彼が小学校高学年の時に担任をしたが、確か、サッカーがものすごくうまく、高校はサッカーの名門校へ進学したはずだ。しかし、今、出会った彼は、レストランのチラシを配っていた・・・。
 後日、彼が働いているレストランに出かけました。その時に、高校生の頃から現在までの経緯について、実に生き生きとした表情で語ってくれたのです。
 「僕はサッカーが得意だったので、サッカーで有名な高校へ行ったのですが、入学して驚かされたのは、僕よりも上手な生徒ばかりだったことです。上には上がいるということを、ものすごく感じました。その後、あることがきっかけで料理に興味が湧き、高校を卒業してからは、このレストランで調理を学びながら働いています。今は、将来自分のお店が持てるようになりたいとう夢を持っています。プロのサッカー選手にはなれませんでしたが、料理というものの“良さ”や“おもしろさ”を知ったのです。もし、この高校に行っていなければ、おそらく料理人への憧れは生まれなかったでしょう。このサッカー名門校のおかげだと思っています。」

 この時の私は、教頭をしながら6年生の担任も兼務していました。今でも、教員人生の中で最も厳しい時期であったと思えるほど、”悪戦苦闘”の毎日でした。まさに“カオス(混沌)”のような心理状態で彼の話を聞いていたその時、突然ひらめいたのです。彼の笑顔がきっかけで、困難に立ち向かう勇気が湧いてきたのです。 ─── 人は、厳しい状況に直面すると挫折感や絶望感に苛まれるものだ。しかし、この厳しい状況というのは自分にとってマイナスではなく、むしろ次のステップへの足掛かりであり、プラスの因となるのではないのか ───
 彼は、サッカー選手にはなれなかったけれど、実に晴れ晴れとした表情で語ってくれました。そして、その姿からは挫折感や絶望感など微塵も感じられませんでした。そんな彼の“春風のような笑顔”が私を救ってくれたのです。彼のおかげで、“厳しい冬のような現実”の状況を、むしろ自分を鍛えるための、より一人前の教育者になるための、“絶好の契機”と捉え直すことができたのです。
 数ヶ月後、担任していた6年生の卒業式を迎えました。そして、生涯忘れえぬ“大感動の卒業式”になったのです。“カオス(混沌)”が“コスモス(調和)”へと転じたのでした。
 その後も、私が勤めた教育現場では、次から次へと厳しい壁が立ちはだかったのですが、“絶好の契機”と捉えることで乗り越えることができました。いや、“カオス”があればこそ、“コスモス”へと花開くことができたのでした。

 このような経験を通して、人の成長過程についての人生観を得ることができました。持論ですが、図に表したような「【起】起点→【深】深化→【昇】昇華」という過程です。

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 「起点」とは、自分が置かれている現実のことですが、まだ困難に直面していない状態です。「深化」とは、現実で壁が立ちはだかっている状態のことです。この時は挫折感や絶望感を味わうのが常です。しかし、意気消沈するのではなく、すでに次の“成長への芽”が内包されている状況なのだと認識することが重要なポイントです。つまり、困難な状況こそが、自身を深めるためにも必要なものであるとの“コペルニクス的発想”を持つことです。そして「昇華」とは、“成長への芽”が大きく花開いて、これまで味わったことのない境地へと、自分自身が高まっていくことだと考えています。
 “ピンチはチャンス”と言われますが、私はこの言葉を掘り下げて、“ピンチは、深化であり、昇華へと高まる好機”であると捉えてきました。困難を乗り越えて「昇華」した自己は、それまでよりも高い境地で即、現実の「起点」へと転化することになります。当然、新たな試練が待っているのですが、再び困難に立ち向かう中で「深化」し、そこから「昇華」していくのです。このように、「起点→深化→昇華」を繰り返すことが、生涯にわたって成長・発展し続けるための要諦であり、”真の生き方”であるとの人生観を得ることができたのです。そして、“人生に起こりうるすべてのことには、成長のための意味がある。マイナス、無駄なことなどひとつもない”との結論にたどり着くことができたのです。先行きが不透明な今の時代だからこそ、より一層深く確信しています。

 後に校長を務めた小学校では、教育目標として「”立ち向かい、乗り越える力”の育成」を設定しました。この目標は、私の教員人生から導き出した“真の生き方”でもあるのです。

 深まりゆく秋の紅葉は、この一年間の、自然界の“総仕上げの美しさ”を感じさせてくれます。それは、“カオス”を乗り越え、“コスモス”へと転じた、教育現場の方々の“総仕上げの荘厳さ”と重なって見えてくるのです。

 ~ “現実の壁こそ、成長のための母”と痛感する日 ~  (勝)

※ 「教頭をしながら6年生の担任も兼務」について、本コラムの「両腕いっぱいのカーネーション」(2022.01.28)に詳しく記載していますので、あわせてお読みいただければと思います。

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