金メダル

 「秋の風は気持ちがいいよ」
 「みんな、秋が来たよ」
こんな言葉をかけられているかのように、赤とんぼがたわわに実り始めた稲穂の上を、さわやかな風に乗ってゆらゆらと舞っています。青く澄んだ空に黄金色の稲穂。そして、真っ赤なとんぼ───。一幅の“秋の名画”のようです。
 この名画を眺めていると、「イチ、ニイ、サン、シィ」の掛け声が、聞こえてきました。「小学校では、運動会の練習が始まっているのか。まだまだ、残暑が厳しいけれど、暑さやコロナに負けないで!」と心の中で叫んでいました。

 私が小学校で6年生の担任をしていた時のことです。私の学級には運動能力が抜群で、どんな運動も見事にこなす男子児童がいました。けれども自己主張が強い面があり、周りの子たちへの心づかいが足りない時がしばしばあって、トラブルが絶えませんでした。
 そんな彼が、運動会の応援団長に立候補して赤組の団長になったのです。運動会の競技・演技は学年ごとに種目が行われますが、学年を越えて運動会を盛り上げるために、全校児童が紅白に分かれて熱い声援を送ります。そして、紅白それぞれの組の士気を上げるために、応援団を結成する学校が多くあります。自分のことよりも全校児童のことを優先しなければならない応援団。ただでさえ大変なその応援団の団長に、彼がなったのです。
 私は、驚きとともに、ある種の興味を感じていました。「あの彼が応援団、それも応援団長に。どこまで“変身”できるのかをしっかり見ておこう」と。
 放課後、遅くまで残っての応援団の練習が始まりました。そこには、担当の先生の指導を素直に聞きながら、応援団の中心となって懸命に取り組んでいる彼の姿がありました。私の前では見せたことのないその姿に、“変身の予感”がしたのです。
 そして迎えた運動会の当日。躍動感あふれた、彼の晴れやかな雄姿が光っていました。おかげで、運動会は大いに盛り上がったのです。微笑んだ表情で、眼を細めて眺めていた彼のご両親の様子からも、彼の“変身”を感じとることができました。

 「立場が人をつくる」と言われるように、私は当初、「応援団長という立場が、彼を変えたのだ」と考えていました。しかしその後、多くの子どもたちと接する中で、「いや、彼は変身したのではないのだ。もともと彼には、人のために汗を流す力があったのだ。私には、そんな彼の可能性が“見えていなかった”のだ」という思いに至ったのです。「立場が人をつくる」のではなく、「可能性の開花が人をつくる」という“正しい子ども観”を、彼のおかげで持つことができたのです。“私自身が変わった”ことに気づいた瞬間でした。

 その後、私が校長を務めた小学校の運動会 ───。閉会式では、紅白それぞれの点数が発表されて勝敗が決まり、運動会がいちばんに盛り上がるクライマックスを迎えます。優勝旗・準優勝旗授与の後、紅白の応援団長それぞれに、私は手作りの金メダルを授与しました。
 運動会は何のために行うのか。それは、子どもたちの“乗り越える力を開花するため”でもあるのではないか。そのことに気づかせてくれた彼に、今では立派な社会人になっているであろう応援団長の彼に、感謝の意と敬意を表します。また、運動会を通して見事に成長したすべての子どもたちを称えます。この2つの意味から、紅白の応援団長それぞれに、私の手作りの金メダルを授与したいと思ったのです。本来は、すべての子どもたちに授与すべきなのかも知れませんが、子どもたちを代表しての授与としました。
 今年の運動会も、昨年同様にコロナ禍が続く中での開催となるため、種目や観客人数等に制限があるかと思います。このような状況下での開催だからこそ、運動会を通して“困難・試練を乗り越える力”を、いや増して習得してほしいと願わずにはおれません。

 「力をいっぱい発揮して、素晴らしかった」
 「感動したよ、成長したね」
こんな言葉が子どもたちに贈られているかのように、運動会が終わって静かになった校庭に、毎年のように赤とんぼが舞い始めるのを目にします。かつて、このような秋の訪れを感じる光景に、子どもにとっての“実りの秋”は“成長の秋”なのだと感慨深くなったことが、昨日のことのように思い出されます。
 秋の夕焼けをバックにして、校庭の上を舞う赤トンボ。この光景もまた、まさに一幅の“秋の名画”です。子どもたちと教職員、そして、保護者・地域の方と一緒に描き上げた“秋の名画”なのです。

 ~ 可能性 開いて舞ゆけ 未来っ子 ~  (勝)

※運動会の閉会式で述べた“校長としての言葉”について、本コラムの「手の跡、足の跡」(2021.09.22)で触れていますので、お読みいただければありがたいです。

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