3・11

 2014年12月、JR気仙沼駅からタクシー(震災により鉄道は壊滅していたため)に乗り、高台にある(元々は海岸近くにあった)岩手県陸前高田市役所の教育委員会に向かいました。

 車中、運転手さんがこの辺りの状況を話してくださいました。

 「この8階の建物の上まで津波が襲ったのです」との言葉。海岸近くのこの建物の窓や内部は全部壊れ、外壁だけが残っていました。実際に、被害にあった建物を目のあたりにすると、津波の高さに驚くとともに、その威力は想像を超えていました。続けて、「この辺の家は全て壊滅しました。木々も全部なくなりました」と言われたのです。見渡すと、高台へ向かう道路の両側は流木やは瓦礫がれきばかりの光景が広がっていました。「津波はここまで来たの」との思いがこみ上げてきて、胸がしめつけられました。さらに、「震災当時はバスで大勢の方々が応援やボランティアに来られたのですが、今はほとんど来られません」と、やるせない表情で話されたのです。その言葉を聞き、「3年が経った今こそ、本当の応援・支援をしよう」と、心の奥深く決意をしたのです。

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奇跡の一本松

 大阪の子どもたちと被災地の子どもたちとをつなぐ取組(花と心の交流)をしたい・・・その思いを陸前高田市の教育委員会が汲んでいただき、陸前高田市の横田小・中学校を紹介していただきました。そのための事前の挨拶で訪れた時のタクシー内でのやりとりです。「花と心の交流」とは、当時、私が校長を務めていた大阪市立榎本小学校の児童が育てた「忘れな草」(被災地を忘れないという意義を込めて)を贈呈する取組です。

 数か月後、贈呈式のために、当時、教育委員会学校教育課の主任をされていた冨手千秋さんに震災後の多忙な業務の中を同行していただき、横田小・中学校へ再度訪れました。小学校の児童数は70名程度、中学校は15名でした。道路を挟んで向かいどうしに建っていた両校の校庭には、仮設住宅がびっしりと建ち並び、のびのびと運動できる広さではありませんでした。そんな厳しい環境の中でも、児童・生徒たちは真剣な顔で学習していた光景が忘れられません。

 歓迎していただいた小・中学校の両校長先生方がしみじみと語られた言葉の数々は、今なお、心の奥底に残っています。「本当はもっと児童は多いのです。でも、震災で戻ってこられなくなったのです」「多くの人がボランティアや応援に来られたのですが、一番嬉しいのは『がんばってね』ではなく、『がんばっているね』の言葉でした。児童・生徒には、『がんばっているね』が一番の励みになるのです」

 “寄り添う”とは、“同じ目線に立ち、相手の心情に共感する”ことだと思います。理不尽にも一瞬のうちに多くの尊い命や日常生活が奪われ、誰にどのように訴えればいいのかわからない。この先どうのように過ごせばいいか全く考えられない。そんな状況の中、毎日を必死に生き抜いておられる方々に対しての言葉がけは、そう簡単には出てこないと痛感したのです。『がんばってね』ではなく、『がんばっているね』の言葉の意味を重く受け止めたのです。

 東日本大震災からまもなく10年迎えます。今もなお復興の途上にあって、多くの方が前に向かって頑張っておられます。10年が経った今だからこそ、“忘れない”で“共に一緒に歩んでいく”気持ちで「3・11」を迎えたいとの思いを強くしています。マザー・テレサが残した「愛の反対は、憎しみではなく無関心である」の言葉が、実感をともなってよみがえってきます。

 10年が経った今だからこそ、“忘れない”ことを、世代から世代へと、途切れなく引き継いでいく大切さを強く思います。「花と心の交流」は、7年前のいわば“点”の取組ですが、両小学校の歴代の管理職・教職員の方々のご尽力により、嬉しいことに現在も榎本小学校と横田小学校との交流が続けられています。“点”から“線”の取組へと発展しているのです。そして、両小学校を卒業した子どもたちが“忘れない”を原点にして、人への思いやりのある豊かな人生を送って欲しいと願わずにはおれません。

 私自身も今後の人生において、被災地への思いを“忘れない”で、東日本大震災を語り続けていきたいと心に期しています。

 被災地と大阪の子どもをつないでいただいた陸前高田市教育委員会の方々、とりわけ、同行していただいた冨手千秋さんには心から感謝いたします。誠にありがとうございました。

 ~ 「花は咲く」を口ずさむ日 ~   (勝)

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