卒業する子どもたちへ

 以前、何かの読みものに、興味ある記事が載っていました。「細胞一個が偶然に生まれるのは、1億円の宝くじに連続100万回当選するのと同じくらいの確率」(注1)── というものです。さらに人間が誕生するとなると、奇跡という他はありません。

 人間としてこの世に生を受けて生まれてくるのが、いかに崇高なことであり、尊いことであるかと思われてなりません。今、生きていることには、意味があり、何かを為すために生まれてきたと思わずにはおれません。

卒業

 そして、奇跡的に生まれてきた子ども同士の出会いは、もっと奇跡的であり、0ではないが限りなく0に近い超奇跡的な出会いと言えるのではないでしょうか。

 本来なら、そんな友だちと感動的な別れの卒業式を挙行して旅立たせてあげたいと思うのが保護者・地域の方々、また、教職員の切なる願いにちがいありません。しかし、まだまだコロナ禍で厳しい状況が続く中、マスクをつけての式典、大きな声で歌が歌えない、大きな声で呼びかけができない、式場内の人々も限られている等の制約の中での卒業式に無念の思いが湧いてきますが、発想を切り替えての卒業式にしたいものです。

 たとえマスクをつけていても表情は伝わる。たとえ声が出せなくても身振り手振りで分かる。たとえ式場内が少人数でも祝福の雰囲気は漂う。そして、たとえ式典に制約はあっても心には制約はない。心さえ通じ合えば、立派な卒業式です。いや、この状況下だからこそ、例年以上の「知恵と工夫がキラリと光る」卒業式になるにちがいありません。

 この未曽有のコロナ禍は、多くのことを教えてくれました。そのひとつが、“世の中の人々は支え合って生きている”ことに気づかせてくれたことです。卒業する子どもたちは、そのことを人一倍感じていることだと思います。人一倍悔しい思いで卒業する子どもたち、だからこそ、誰よりも“世の中の人々は支え合って生きている”ことを、今後の人生で伝えて続けて欲しいと願います。いや、伝えて続けていく使命のもとに生まれてきたと思えてなりません。

 卒業生の今後の人生は、冒頭で述べました「今、生きていることには、意味があり、何かを為すために生まれてきた」の答えにつながってくると思えてきます。

 チャップリンは「近くで見れば悲劇でも、遠くで見れば喜劇に見える」という言葉を残しています。喜劇王ならではの言葉ですが、ここでいう「喜劇」とは、単にお笑い的な意味ではなく、必要不可欠な出来事の意味です。

 人は誰でも、何か良くないことが起こると悲観的になり、悲しい出来事と思ってしまうものです。しかし、乗り越えた後に振り返ってみると、悲劇的な出来事は、実は、その後の人生を決定づける必要不可欠な意味のある出来事であったと思えることがあります。

 コロナ禍の中で卒業する子どもたちも“あの卒業式のおかげでこのようになれた”と言える人生にして欲しいと願います。

 誰よりも悲しい思いを味わったからこそ、人を悲しませることはしない。誰よりも友だちの大切さを感じたからこそ、友だちを大切にする。誰よりも人のあたたかさを感じたからこそ、世のため人のために尽くす人生を歩む。そんな生き方であって欲しいと願います。

 そして、使命ある子どもたちを育て送り出す教職員のみなさまは、もっと使命があり尊い方々です。本当にご苦労様でした。ありがとうございました。どうか、心身共にご健康で卒業式を迎えられることを願ってやみません。

 ~ 卒業する子に幸多かれと祈る日 ~ (勝)

(注1)WEBマガジン[関西ウーマン]の「中島未月の関西・祈りをめぐる物語」で紹介された、『[第十回]筑波大学名誉教授 分子生物学者 村上和雄さん』のインタビュー記事から引用。

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