“希望桜”よ、咲き薫れ!

 毎年、年始を迎えるたびに思い出すことがあります。
 それは私が若い頃、小学校の学級担任をしていた時のことです。学級のAさんは、保護者の方の都合で年末年始を施設で過ごすことになったのです。2学期の終業式を終え、学級の子どもたちは、「さあ、明日から冬休みだ。クリスマスやお正月が楽しみだ。家族旅行にも行くんだ」と、それはそれは喜びあふれる笑顔で学校を後にしたのでした。しかしAさんの表情には、暗く寂しさが漂っていました。私は彼に、「体に気をつけてね。3学期にまた、元気で会おうね」と言うのが精一杯でした。
 ─── こんな子どもがいることを、絶対に忘れてはならない。世間では、クリスマスだ、正月だと騒いでいるが、現実にはこんな子どもがいることを絶対に忘れてはならない。
 施設の方と一緒に学校を去っていく彼の姿を眺め、私は心で泣きながら、深く決意したのでした。
 その後の担任時代、そして管理職になってからも、保護者の方の都合で施設での生活を送る子どもが何人かいました。そのたびに、しみじみと思ったのです。
 ─── “学校は子どもたちにとっての“安全地帯”であり、“心安らぐ居場所”にすることが、“こんな子ども”に応えることである。
 私は、その子どもたちのことを、今でも忘れることはありません。

 教育現場ではさまざまな問題が次から次へと波のように起こり、その対応に追われる毎日です。また、複雑さ・多様さが増す社会状況の中にあって、教育委員会や行政からの指示や要望が増えることはあっても減ることは決してありません。そんな多忙な教育現場では、“学校づくりへの熱い思い”がついつい薄れがちになってしまうのも事実です。では、厳しい現実の中でも熱い思いが途切れることなく、子ども中心の学校づくりへと邁進していくにはどうすれば良いのか。それは、その熱い思いを目に見える“具体的なかたち”にして表し、共有することだと思います。私は、「学校グランドデザイン」がそのひとつであると考えています。みんなの心をひとつにし、家庭と地域をつなぐ学校づくりを進めていく上での羅針盤となるからです。
 4年目に入ったコロナ禍。長引く活動制限の影響もあって、不登校児童や子どもの虐待件数が増加しているとの報道を耳にします。そのたびに、本来、望ましい教育環境をつくるべき大人たちから、逆に子どもたちが厳しい状況を突き付けられていると感じるのです。犠牲になっているのは子どもたちであり、この状況を変えなければとの思いが込み上げてくるのです。そして、より一層、子ども中心の学校づくりを着実に進めるための「学校グランドデザイン」の必要性を痛感するのです。

 子どもをとりまく教育的課題は社会制度等に起因することが多く、それゆえ政治によって解決すべきことも多いと思います。しかし、その現実を最も肌で感じているのは、教育現場に身を置いている(置いてきた)私たちです。今年もどこかで、きっと年末年始を家庭以外のところで過ごした子どもがいたにちがいありません。教育現場に身を置いている私たちが、そんな子どもたちに励ましを送り続けることが、子どもたちの笑顔が輝く社会をつくっていく上で大切なことなのではないでしょうか。いよいよ新年が始まりましたが、今年一年が、子どもたちにとって希望に満ちた年になることを願ってやみません。

 あの日、Aさんを迎えに来た施設の方の言葉が、今でも鮮やかに蘇ってきます。
「先生、心配しないでください。しっかりとお世話します。また来年、元気な姿で帰ってきますから」
 短い言葉でしたが、沈痛な表情の私に、慈愛あふれる穏やかな顔で言われました。
 ─── この方は“生きた仏様”にちがいない。こんな教師になろう!
 若い私は心に誓ったのでした。

 管理職をはじめとする教育現場の教職員の皆さま、地域・保護者の皆さま、教育委員会・行政の皆さま、そして、子どもたちをあたたかく見守っていただいているすべての皆さま、本年も昨年以上に、どうか、どうか、よろしくお願いいたします。

 枯れ葉を落とした桜の木には、早くも新芽が出始めていました。コロナ禍を乗り越えて、希望あふれる年になる予感がする新年です。

 ~ 今年こそ、“希望桜”よ、咲き薫れ!と、祈り願う日 ~  (勝)

※「学校グランドデザイン」について、会報誌「未来ウォッチ」(2022春・夏・秋号)で掘り下げて述べています。その内容は、ホームページでご覧いただけます(期間限定)。

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