アリの眼と鳥の眼、そして魚の眼

 秋を象徴するかのように、風になびくススキの穂が、さわやかな日差しに照らされて銀色に輝いています。この季節になると、ススキの穂の中で遊びまわっていた子どもたちの情景が目に浮かんできます。

 それは、私が校長を務めていた小学校で、高学年の秋の遠足に付き添ったときのことです。行き先は、甲山かぶとやま(兵庫県西宮市)でした。現地に到着すると、「校長先生、この子と一緒に山を登ってくれませんか」と担任からの依頼がありました。この子(A子さん)は、山歩きが苦手でみんなから遅れる恐れがあるため、一緒に登って欲しいとのことでした。そのとき、「私も一緒に登ります!」と、A子さんの一番の友だちであるB子さんも言ってくれたのです。
 たかが309mの山ですが、A子さんにあわせて休みをとりながら3人でゆっくりと登っていきました。するとA子さんが、「うわあ、山のアリは大きいなあ」と驚きの声。私からすると、山のアリは大きいとは分かっていたのですが、子どもにとっては新鮮な驚きだったのでしょう。
 しばらく歩くと、情けないことですが私の方が先に疲れてきたのです。その私の様子を見ていたB子さんが、「校長先生、ファイト!ファイト!」と励ましてくれました。すかさずA子さんも、「校長先生、がんばりや!」との声。A子さんのために一緒に登ったつもりであったのに、結局、私が2人の子どもから励まされることになったのです。
 実は、この日の晴天とは裏腹に、私の胸中はある事案で悶々としていたのです。少し登ったくらいで疲れが出たのもそのせいだと感じていました。その事案の解決に向け、教育委員会や関係諸機関との連携を図りながら、保護者の方と慎重に丁寧に対応をしていました。そして、この日の夜が正念場だったのです。

 そうこうしてやっと、頂上に到着。すでに他の子どもたちは到着していました。担任がすぐに駆け寄ってこられ、「校長先生、お世話になりました。おかげさまでA子さんは無事に登ることができました。B子さんもありがとうね」と、言葉をいただきました。その言葉に私は、「いえいえ私こそ、この子たちのおかげで楽しく登ることができたのです」と、率直な気持ちを担任に伝えました。
 「校長先生、いっしょにお弁当を食べようよ」とB子さんから言われ、3人での食事になりました。そのとき突然A子さんが、「見て!上にカラスが飛んでいる。私たちの弁当を狙っているよ!」と叫んだのです。「あれは、カラスではなくトンビだよ。でも、確かにあんな上からお弁当を狙っているね」と、私はA子さんに言葉を返しました。

 “人は食事を共にすると、互いに心が通いやすくなる”と思っていましたが、この日の3人のお昼の食事は、楽しく互いの心がよく通い合うものとなりました。A子さんのよさや、B子さんがA子さんの面倒をよく見てあげていることがしみじみと伝わってきたのです。

onigiri

 昼の食事が終わると、2人は頂上いっぱいに茂っているススキの中で、鬼ごっこをしだしました。
私はその様子を眺めていて、「不思議なことに、この子どもたちの健気さや無邪気さを見ると、元気が出てくる」との思いになったのです。「今夜の対応のためのエネルギーをもらった。よし!がんばるぞ!」との勇気が湧いてきたことが、今でも鮮明に蘇ってきます。

 私は、物事を判断するには、「アリの眼」「鳥の眼」そして「魚の眼」の3つの視点で捉えることが大切であると、常々考えてきました。アリの眼とは、ミクロな視点で目の前の課題に誠実に全身全霊で取り組むこと。鳥の眼とは、マクロな視点、すなわち視野を広くして全体を俯瞰的に見ることです。そして、魚はからだ全体で潮の流れを感じて進んでいくという習性があることから、魚の眼とは、「時間の流れ」で見ることです。この3つの視点を意識することによって物事を客観的に捉え、正しい判断ができるようなるのではないでしょうか。もし、悩みに没頭している自分があっても、ちがうところから自分自身を客観的・動的に見つめることによって、冷静な対応ができるようになる、すなわち”メタ認知”に通ずるのではないかと思います。
 奇しくも、この日に私たち3人が目にした「アリ」と「トンビ」とが私の心の中で重なり、「アリの眼」「鳥の眼」「魚の眼」の3つの視点が、より一層心の深いところに“ストーン”と落ちました。「今夜の対応も、課題の本質をマクロ的に俯瞰しながら、目の前の課題に誠実に全身全霊で取り組もう。必ず“解決の時がくること”を信じて、真摯に粘り強く対話を重ねていこう」という勇気と決意が湧いてきたのです。このような心境になれたのも、この遠足での2人の子どもたちのおかげだと、感謝の思いが込みあげてきました。
 人生は、仕事・家庭や自分のこと、そして社会等からの“予期せぬ試練・困難の連続である”とも言えるのではないでしょうか。その試練・困難に遭遇したとき、物事を客観的に捉えることができれば、力強く乗り越えるための智慧と勇気が湧き、希望の行動を起こすことができるのではないでしょうか。3つの視点で捉えることは、コロナ禍の今ほど重要な時はないと思えてなりません。

 ススキが生い茂る中で快活に遊んでいる2人に、秋の陽光がいっぱいに降りそそぎ、“未来に生きる妖精”の如くに輝いていました。ススキの花言葉は、「活力」「生命力」です。

 数か月後、先の事案は無事に解決し、保護者の方とは以前より増して、よい関係を築いていくことができました。

 ~ 野山が秋の装いで色づき始めた日 ~  (勝)

susuki

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