一輪の花

 間もなく1学期が終わろうとしています。新型コロナウイルス感染症対策に細心の注意を払いながらの日々の教育活動、本当にご苦労様でした。また、梅雨末期の豪雨災害や熱中症に対する心労にも慰労の念を禁じえません。
  
 さて、小学校では、授業と授業の間や給食終了後に休憩時間を設けてあります。たかが10分~15分の時間ではありますが、休憩時間のチャイムがなるや否や、子どもたちは歓声をあげながら各教室から一斉に運動場へと駆け出してきます。その光景を見ると、子どもたちにとっては学校生活で一番楽しい時間であり、本来の子どもらしさがあふれる“喜びのひととき”であると感じます。

 ある日、校長として勤めた学校で、休憩時間のこの光景を運動場の片隅で眺めていると、中学年の男子児童がかけ寄ってきて言いました。
 「校長先生は、普段は何しているの?」
 ──(確かに校長が、普段何をしているのかを疑問に思うことはよく理解できる)
 「・・・・・・・・・」
 ──(だが、答えるのが難しい)
 「この学校で一番偉い人は誰なの?」
 ──(よく聞かれる質問だ)
 「それは、皆さんの担任の先生であり、すべての教職員の方だよ」
子どもと保護者に接している最前線の、担任をはじめ教職員の方々こそが、学校では1番偉く尊い存在です。私は、いつもこのように思っていました。

 休憩時間での出来事で、もうひとつ思い出すことがあります。

 ある年の春、桜が満開に咲いていた日のことです。高学年の女子児童が私のところにかけよって来ました。
 「校長先生、この花をプレゼントするね」
こう言って、運動場に舞い落ちた一輪の桜の花をくれたのです。私はすぐにその桜の花を胸に挿しました。
 「うわあ、きれい、すごくよく似合いますよ。じゃあ、校長先生、頑張ってね」
 その子は手を振って去っていきました。ほんのわずかな時間の何気ない出来事でしたが、嬉しさが込みあげてきたのを今でも鮮明に思い出します。運動場に舞い落ちた“たかが一輪の花”、されど真心こもる“世界でたったひとつの花”。その花をあげたいというこの子の“感性”に心打たれたのです。そして、大切なのは花の値段や豪華さではなく、“花を贈る心”だとしみじみと思いました。

一輪の花

 感染症対策やそれに伴う授業の工夫、豪雨や熱中症への対応等、この1学期の、管理職の方々をはじめ教職員の方々のご苦労に、心から“一輪の花”を贈呈したい気持ちでいっぱいです。本当にお疲れ様でした。このコロナ禍の中、教育学者や教育評論家の方が毎日のように「コロナ禍における授業や教育活動」「子どもたちの心のケア」等についてコメントしていますが、私は、教育現場で連日奮闘されておられる皆さま方の“肌感覚”に勝るものはないと確信します。なぜなら、実感をともなった意識、すなわち“肌感覚”で捉えることによって、ものごとの本質を見極めた行動がとれるようになるからです。依然、大変な状況が続いている今、この“肌感覚”がとても必要だと思われてなりません。
 教育現場こそ、未来を創る最前線です。いや、教育現場の“肌感覚”こそが、未来を創る最前線です。子どもたちの未来を拓き創るのは、日々ご苦労されている皆さま方の“肌感覚”であると強く思います。

 「ピンチはチャンス」との言葉をよく耳にします。長い長いトンネルのような今の状況をくぐり抜けたら、人は強く大きくなれる。光り輝く希望が待っている。そのことを信じてみんなで支え合いながら、一緒に乗り越えていきたいものです。米国の詩人ウォルト・ホイットマンは、「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」(注1)との言葉を残していますが、未だ経験したことのない苦労をして、寒さに震えた皆さまこそ、太陽の暖かさを最も感じることができるのではないでしょうか。言葉にできないほどの悩みをくぐった皆さまこそ、子どもの生命の尊さを最も知ることができるのではないでしょうか。この1学期、本当にお疲れ様でした。そして、2学期も、よろしくお願いいたします。

 「人間が人生を妨げるものと闘う時、人生はより満たされ、輝く」── マクシム・ゴーリキー(注2)

 ~ 「梅雨明けを告げる蝉の声に、子どもの歓声を重ねて思う日」 ~ (勝)

(注1)「世界名言大辞典」 梶山 健 編著、明治書院、1997年11月発行、213頁から引用。
(注2)「ゴーリキー全集 第3巻」、ナウカ出版社(ロシア語)から引用。

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