朝の光景

 雨の多いこの時期になると、思い出す出来事があります。それは、ある朝の超満員の通勤電車内でのことです。あいにくの雨で、その日は傘を持っての乗車となりました。車内では傘をたたむのがマナーだと思いますが、その人は、たたまず持っていたために、隣の人に水滴がついたのです。
 「君、私の服がぬれたけれど、たたむのがマナーですよ」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「私の服をぬらしたのだから、謝るのが筋でしょう」
 「・・・・・・・・・・・・」
 私はこの光景を見ていて、現代人のマナーへの意識と、謙虚に謝罪するという意識が低くなっているのを感じました。もし、ちょっとした“細やかな心づかい”があれば、このようなやり取りにならずに済んだのではないでしょうか。

 少し残念な気持ちを抱きながら目的地の駅に着きました。駅を出ると、マンションの玄関先でプラカードを持って、集団登校児童を整然と並ばせている保護者の姿が見えました。このマンションには多くの子どもたちが住んでいるのですが、校区の学校から最も遠い所にあり、低学年では30分以上もかかってしまいます。そのため、大人たちの見守りへの意識と行動が、より大切になってくるのです。このマンションでの登下校に対する保護者の“見守りのあたたかさ”を、私は常日頃から感じていました。そして先ほどの電車内での出来事とはあまりにも対照的なこの光景に”大きなぬくもり”を感じ、熱いものが込みあげてきたのです。 大勢の子どもたちを並ばせることがどれほど大変なことか。雨の日はなおさらです。担任時代に苦労したことのひとつです。私は心で合掌しながら、このような方々のおかげで子どもの安全・安心は守られていると感じながら、しばらくこの光景を眺めていました。

 校長としての朝の始まりは、登校時の子どもたちを学校玄関で迎えることです。

 「校長先生、絶好調!」
 ── いつも、元気をもらう言葉です。子どものユーモアのセンスはずば抜けています。
 「この傘は、昨日買ってもらってん。かわいいやろ!」
 ── 新品の傘を買ってもらった嬉しさを早く伝えたいのです。
 「昨日な、弟のめんどうを見なかったの。それで、私が、おこられた・・・」
 ── 自分が悪いと感じながらも、誰かに今の思いを伝えたいのです。
 「昨日、お父さんとお母さんがものすごいけんかしてん。それで、・・・・・・」
 ── あとは言葉にならなかった。子どもの心の奥深い所に“悲しさが沈み込んでいる”と感じます。

 また、“そこまで言わなくていいよ。それは、個人情報だよ”と、思われる家の事情を次々と話しかけてくる子もいれば、会話することなく、しぐさや表情から“心の状態”をアピールする子。嬉しいことにはいっしょに楽しく喜び合い、悲しくつらい内容にはじっくりと耳を傾けてあげる・・・。1日のスタートである“このひととき”により、子どものこの日は決するとの思いでした。
 教育現場は“社会の縮図”であると常々感じていました。子どもを通して社会が垣間見える気がしたのです。その都度、すべての子どもがいつも笑顔で、さわやかに登校できる光景を夢に描くのでした。
 そのために、どのような学校であるべきなのか。校長としての学校づくりのヒントは、いつも朝のこどもたちとの会話から、子どもたちのしぐさや表情から生まれました。子どもたちの背後に見え隠れする“家庭・地域・社会の実像”から、子ども中心の学校づくりのアイデアが次々と湧いてきたのです。登校時の子どたちとのふれあいは、私にとっては“貴重な宝のひととき”でした。

 教職員の朝は、職員朝会から始まります。「今から、職員朝会を始めます」との言葉の後に、一斉に「おはようございます」とあいさつを交わす・・・。当然といえば当然な光景ですが、実は、この朝のあいさつの声や表情こそが、ものすごく重要な事と思っていました。よく「元気がないから、あいさつの声も小さくなる」と言います。しかし、「元気な声を出すから、体も元気になる」のも事実でしょう。心と体は相関関係にあるのですから。職員朝会での元気なあいさつによって、“職員室の雰囲気”は一瞬にしてパッと明るくさわやかになるのです。

紫陽花

そして、“職員室の雰囲気”はそのまま“学校の雰囲気”となります。言わば、職員朝会での朝のあいさつが、その日の“学校の雰囲気”をつくると言っても過言ではないのです。雨の多いこの時期であり、ましてやコロナ禍の今だからこそ、さわやかな朝のあいさつでスタートしたいものです。

 ~鮮やかな紫陽花あじさいに、子の笑顔を重ねる日~  (勝)

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