「お別れのカード」

 春の3月。年度末の節目にあって、旅立ちの喜びと別れの悲しみが入り混じる、複雑な心境の方もおられるかと思います。特に学校では卒業式を迎え、さらに校園長や教職員の異動が多くなる時期でもあります。今月で退職される方、これまで本当にありがとうございました。また、転勤される方、立場が変わられる方におかれましては、気持ちも新たに、益々のご活躍をお祈りいたします。

 それは、私が小学校の校長を務めていた頃のことです。ある年の3月、別の小学校への転勤の内示を受けました。それを耳にしたいろいろな方々から、送別の言葉や手紙をいただきました。そして、特別支援学級の子どもたち全員からも「お別れのカード」をもらったのです。一人ひとりの子どもたちが心を込めて書いたくれたメッセージが、今でも鮮明に蘇ってきます。

 「こうちょうせんせい、おせわになりました。わたしたちもがんばりますので、こうちょうせんせいも、むこうのがっこうで、がんばってください」
 「こうちょうせんせいとわかれるのはつらいですが、こうちょうせんせいのえがおをわすれないで、わたしもえがおですごします。ありがとうございました」
 「あさのじゃんけんは、たのしかったです。もうできないのはざんねんですが、たのしいおもいでをありがとうございました」

 私がこの学校で最初に心に期したことは、「子ども中心の、ぬくもりのある学校にしよう!」ということでした。それを実現するために、特別支援教育の充実を学校づくりの土台に据えることにしました。特別支援学級の子どもたちを尊重し、「その子に応じた配慮を持って接すること」が、「すべての子どもたちを大切にすること」につながってくると捉えたからです。
 子どもに接する際、常に心に持っていなければならないのが“子ども観”です。

 ─── 子どもは平等に、“計り知れない可能性”を秘めている。大人の予想をはるかに超える好奇心や創造力に満ち溢れている。今の姿は“仮の姿”である。すべての子どもには、元来、ものすごいエネルギーで湧き出ようとする“計り知れない可能性”が、厳然と存在している ───

 この“子ども観”を持つことにより、特別支援学級の子どもたちのみならず、すべての子どもたちを大切にすることにつながっていきました。このような思いで教職員と一丸となって奮闘したことが、今では懐かしく思い出されます。

 子どもの可能性を信じられることは、とりもなおさず、大人である教師自身の可能性を信じられることでもあると思います。なぜなら、子どもと教師は相即不離(注1)の関係、つまり互いに響き合い、高め合う関係だからです。

 人事異動で新たな学校へ転勤することに不安はつきものですが、この「お別れのカード」は、“心強い支え”となりました。次の学校でも、「よし!子ども中心の学校にするぞ!」という勇気が湧いてきました。そして、子ども中心の学校づくりの構想が次々と浮かんできたのです。何より、私自身の可能性の広がりを感じることができた、ありがたいカードでした。現職を退いた今でも、このカードを大切にしています。
 
 今年もタンポポが咲き始めました。踏まれても、踏まれても、たくましく咲くタンポポの花。この春の風景は、子どもたちがたくましく成長していく姿と重なって見えてきます。

 ~ “一年間お疲れさまでした。そして新たな出発を!” との心境になる日 ~  (勝)

(注1)そうそく 【相即】:どちらが本〔=原因〕でどちらが末〔=結果〕か区別がつきにくいほど、深い関係をもっていること。「─不離」 ~ 出典:「新明解国語辞典 第五版」、三省堂、1997年11月発行。

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