深まりゆく秋。木々の紅葉が美しく輝き、ススキの穂が秋風に揺れています。ただ、教育現場では、「いつ夏が去り、秋が訪れたか」が分からなくなるくらい、忙しい日々を送っている方も多いのではないでしょうか。時には季節の風景を愛でる心の余裕を持って欲しいと、願わずにはおれません。
この夏から秋にかけて、何校かの小学校、中学校、小中一貫校、そして大阪市で唯一の義務教育学校を訪問させていただきました。どの学校も大変お忙しい中にもかかわらず訪問を歓迎していただき、心から感謝しております。教育現場で奮闘されている校長先生をはじめ、教職員の皆さまの熱き思いを肌で感じることができ、感謝の気持ちと尊敬の念に堪えません。
訪問では、校長先生方が子どものことを語っている時の、慈愛に満ちた穏やかな表情がとても印象的でした。また、時折見せる緊張感が漂う様子から、“子どもを預かる責任の重さ”と“学校を背負う覚悟”がひしひしと伝わってきました。
「教師は聖職である」と、私は若い教員時代から幾度となく先輩に教わってきました。今回、教育現場に足を運ばせていただき、再びこの言葉が、深く、深く、心に響いてきました。そして、「教師は聖職である」ことの大前提となる、教師の「3つの資質」が鮮やかに蘇ってきたのです。
① 子どもの命を預かる覚悟があるか否か
② 子どもに幸せな人生を歩ませる責任感があるか否か
③ 子どもの可能性を開花させる慈愛があるか否か
先輩からこのように教わったものの、まだ若かった私にとって「3つの資質」を体現することは簡単なことではありませんでした。“日替わり”のように新たな課題が立ちはだかる状況に、悶々としていたのです。そんな私を察し、先輩はしみじみと言いました。
─── 君は、3つの資質がなかなか身につかないので悩んでいるんだね。3つの資質はものすごく重要だが、身をもって示すのが非常に難しい。ある意味、これらの資質を体現するために日々の挑戦があると思うよ。でも、そのように悩んでいること自体、実は3つの資質が備わっている証なんだよ。3つの資質を身につけようとする“姿勢”そのものが、『聖職である教師の資質』なんだよ。つまり、努力し、反省し、また前に向かって行こうとする“過程”そのものが、資質なんだよ ───
この言葉を聞いた瞬間、私の心の中に一条の光が差し込んだのを覚えています。「よし!素晴らしい教師になるぞ!」との前向きな気持ちを取り戻し、日々の現実課題に立ち向かっていく勇気を得たように感じたのです。この時の先輩の言葉が、その後の私の教員人生を左右したと言っても過言ではありません。
先日訪問したある小学校の正門には、子どもが書いた次のような言葉が掲げられていました。
「スマイルいっぱい すてきな心 みんながかがやけ やさしく明るい学校にしよう」
また、義務教育学校のフェンスには、
「新たな可能性 笑顔あふれる 心温まる学び舎に!」
という横断幕が掲げられていました。これらの言葉を目にした時、全教職員が一丸となって子どものために汗を流す姿が、あたかも透かし絵のように映し出されて胸が熱くなりました。
この2つの学校と同じように、どの学校でも「学校目標」達成に向かい、全教職員が心をひとつにしている光景が目に浮かんできます。賑やかに、皆が一緒に歩きながら。
訪問を終えて学校を去る時、私はいつも心で合掌し、最敬礼する思いで校門を出ます。学校を後にしながら、「やはり、教育は聖業だ!そして間違いなく、教師は聖職だ!」と心の中で叫んでいます。その心の中に、爽やかな風が吹いてくるのを感じます。
つい数週間前まで、実りの秋を象徴するかのように、ずっしりと頭を垂れた稲穂が見られました。今は稲刈りを終え、刈り取られた後の稲株から新芽も出始めています。まるで、子どもたちの“絶えず成長し続ける姿”のようです。
~ 聖職に携われた喜びを実感する日 ~ (勝)