ルビコン川を渡る

 2月は、1年の中で一番寒い時季 ───。教育現場は、1年間の総仕上げと来年度の準備に追われる時期であり、一方で退職・転勤の対象者にとっては心落ち着かない時期です。そんな中、長引くコロナ禍のもとで迎えた2月。以前とは比較できないくらい大変な状況の中で、奮闘されている教育現場の皆さまに頭が下がる思いです。

 この時期になると思い出すことがあります。それは若い頃、小学校教員として高学年を担任していた時代のことです。

 その子は、授業が始まってから登校してくることが多かった子でした。その子が遅れて来ると授業が中断し、教室の雰囲気が緩むことがしばしばありました。
 「今日も遅かったけれど、どうしたの?」
 「朝がとても寒いので、起きられなかった・・・」
その度に遅れた理由を聞くのですが、いつも同じ返答をするのでした。

 この状況をどうにか打破したいと思い、私は先輩に相談してみました。
 「君はまだルビコン川を渡っていないな」
返ってきたのはこのひとことでした。この時、かつて歴史の授業で教わったことが頭に浮かんできたのです。
 ─── 「ルビコン川を渡る」とは、古代ローマ時代の故事に由来することわざだ。当時、ローマの属州ガリアの統治を任されていたカエサルは「さいは投げられた」と檄を飛ばし、イタリア本土の境を流れるルビコン川を渡ってローマに進軍した。このことから、「もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こす」という意味で使われている言葉だ ───
 「ということは、決断が弱い、覚悟が足りないといことですか?」
私のこの言葉に対し、先輩は次のように言ったのです。

 「そういうことだ。君はまだ、渡り切っていないということだよ。つまり、その子のために何をすればいいかと悩んではいるが、まだまだ本気でないというか、その子の人生を“背負っていこうという覚悟”がないのだよ」

 「まだ君はこちら側の岸に留まっているのだ。向こう側の岸に渡り切るというのは、君自身が“変わる”という意味だよ。まだ君自身は“真の覚悟”を決めていないということだよ」

 「口では“子どものため”や“寄り添う”と言っても、本気でその子の人生を“背負っていこうという覚悟”がないのだ。もちろん、その子の人生を生涯にわたって背負えるわけではないけれども、そのような心構えがないということだよ。まだまだ、心の持ち方が浅いよ」

 「深い心構えと言うか、”真の覚悟”を持つことは、これから子どもの命を預かる教育者の人生を歩もうとしている君にはものすごく大事なところだから、じっくりと考えた方がいいよ」

 その後、私は考えに考えました。その子の人生を“背負っていこうという覚悟”とは、いったい何なのか・・・。どうすれば、いいのかと・・・。そして、ふと気づいたのです。
─── このようにずっと考えていること自体が、実は“真の覚悟”に近づいているのではないのか。デカルト(1596-1650年、フランス出身の哲学者、数学者)は「我思う、故に我あり」と言ったが、“背負っていこうという覚悟”とは何なのかと考え抜く、故にその姿勢自体に”真の覚悟”があるのではないのか ───

 私は嬉しくなり、眼の前が“パッと”明るくなったと思った瞬間、ひらめいたのです。
 ─── これまでは、あの子の昼の姿しか見ていなかった。よし、夜にあの子の家を訪問しよう! ───
 あの子の背景である家庭のことにまで意識を向けることなく、悩んでいた自分自身を反省しました。

 早速、迎えた夜、私はその子の家を訪問しました。あまりにも突然の担任訪問であり、しかも夜ということで、保護者の方は驚きを隠せないご様子でした。しかし一方で、ご家庭の事情がよくよく伝わってきたのです。あっと声をあげたくなるような、どうしようもなく厳しい状況を肌で感じたのです。そして、この結果を先輩に報告したところ、次のような言葉が返ってきました。

 「それは素晴らしいよ。君は、今までその子の昼の姿しか見ていなかったのだ。昼の姿は、あくまでもその子の家庭の事情を写し出した姿にすぎない。その子の背景を知って、あたたかく包み込んで接していくことが、“真の覚悟”を持って寄り添うことだと私は思うよ」

 「君自身が勇気を奮い起こして、一歩踏み込んで、その子の人生を“背負っていこうという覚悟”を決めたからだよ。その覚悟が決まったから、“その子の家庭を知ろう”という思いが湧いてきたと思うよ」

 「ルビコン川を渡っていないと言ったのは、君がまだ、渡る前のこちらの岸にいると感じたからだよ。その君が、自身の弱い気持ちを打ち破って向こう岸へと渡った。今までの君から、生まれ変わった君になったと思うよ」

 厳しい状況に遭遇した時、「命を懸ければ、道は拓ける」と言う人がいますが、この言葉は単に言葉だけのような気がして、心の底から納得できないでいました。しかし、こちらの岸の弱い自分自身が向こう岸に渡り、慈愛あふれた自分自身へと“生まれ変わる”ことが本当の覚悟であると、この時に鮮やかにイメージできたのです。

 その後、ほかの子どもたちへも、それぞれの子どもたちの人生を“背負っていこうという覚悟”で接していくことができました。毎日、毎日、課題は波のように押し寄せてきたのですが、その都度、「今日も、ルビコン川を渡るぞ!」と奮闘した日々が、今でもなつかしく蘇ってきます。

 なお、「あまりにも突然の担任訪問であり、しかも夜」と述べましたが、私はそのことを推奨しているわけではありません。当時、起こっていたさまざまな状況を考えた上でとった行動であったことをご理解いただければ幸いです。特に今の時代は、学校に対する社会の捉え方も以前とは変わってきています。ご家庭に対して十分に配慮し、子どもをあたたかく包み込んで接していくことが大切だと考えます。

 極寒を耐え抜いて、梅の花が咲き始めました。まるで、「負けるな!がんばれ!」とのメッセージのようです。梅の花言葉は「忍耐」です。

 さらに話は「管理職になってからの”真の覚悟”」へ続きます。次回のコラム「続・ルビコン川を渡る」で述べさせていただきます。

 ~ 「試練の冬を乗り越えて、春を呼ぼう!」と、声援を送る日 ~  (勝)

column_230220

皆さまの声をお聞かせください