みんなちがって、みんないい

 “みんなちがって、みんないい”(注1)とは、詩人・金子みすゞの有名な詩の一説です。私は小学校担任の時代に学級目標としてこの言葉をしたため、教室前方の黒板の上に額縁に入れて掲げました。一人ひとりの違いを認め合い、尊重し合う学級づくりの理想に燃えて、日々取り組んでいたあの頃が昨日のように蘇ってきます。

 そんな若い頃の学習参観での出来事です。国語の授業での私の発問に、日頃から物静かで積極的には意見を言わないAさんが発言したのです。しかし、多くの保護者の方がおられたせいか、緊張のあまり上手に自分の考えを述べることができませんでした。その様子を見てか、まわりの何人かの子どもがくすくすと笑ったのです。私は即座に「笑ってはいけません」とは言ったものの、それ以上は注意することなく授業を進めたのです。
 後日、保護者懇談会の時です。Aさんの保護者の方と懇談の折、次のように言われました。
 「先生、うちの子は日頃からあまり自分の意見を言わない子ですが、あの参観日には勇気を出して発言したのです。それなのに、まわりの子どもたちはくすくすと笑いましたね。うちの子が本当にかわいそうでなりませんでした。家に帰ってから本人を褒めてあげましたけれど、納得がいきません。学級目標にも”みんなちがって、みんないい”と、掲げてありますよね」
 その言葉を聞いて、若い私は何も言えなかったのです。─── あの時、授業を中断してでも、どうしてしっかりと指導しなかったのだろうか。Aさんには、本当につらい思いをさせてしまった ─── と心の中で申し訳なく思いながら、ただ黙って聞いている以外なかったのです。そして、「これからの教員人生を通して”違いを認め合う”学級をつくっていき、この保護者の方の“思い”に応えていこう」と心に誓ったのです。

 人はそれぞれ、顔や性格、体格や年齢等に違いがあるのは当然です。そしてその違いによって、相手を識別しているのです。ところが、その違いを認め合うとなると、なかなか難しい場面があることを数多く経験しました。個々人の「違い」そのものと、それを「認め合う」こととの間に大きな溝があるのを感じました。その溝を埋めるためにはどうしたら良いのか・・・。
 私は教員人生を通して、”違いを認め合う”学級づくりのために多くの先輩方から意見を伺いました。研修会や講演会にも参加しました。また、戦後、日本教育の礎を築いた斎藤喜博、林 竹二、大村はま、無着成恭、西郷竹彦といった方々の書物を読みました。小学校校長になってからは、現代の教育実践者として著名な桂 聖先生(筑波大学附属小学校教諭)や森川正樹先生(関西学院初等部教諭)を直接学校にお招きし、師範授業を行っていただきました。
 その結果、ひとつのことが分かってきたのです。著名な先生方の指導法や取組はそれぞれ違うものの、共通する点があることに気づいたのです。それは、根底に流れる”哲学”です。「どんな子どもも見捨てない、どんな子どもも必ず幸せにしてみせる」という、”慈愛の哲学”です。つまり、「みんなちがって、みんないい」のです。この哲学は、”違いを認め合う”学級づくりにもつながりました。

 “人は、人の中で成長する”とは私の生き方における信条ですが、教育に携わった40年間で多くの方と出会い、学ばせていただきました。子どもたちや教職員、保護者や地域の方々、そしてさまざまな分野の著名な先生方・・・。その結果、”違いを認め合う”ことについて、私なりの捉え方にたどり着くことができたのです。もとより私は教育学者ではありません。ただ、教育現場で子どものために汗を流してきた教育実践者にすぎません。ですから、ここで述べていることは、あくまでも私見であることをお許しください。

 さらに話は「子どもの可能性」へと続きます。次回のコラム「続・みんなちがって、みんないい」で述べさせていただきます。
 
 春を告げるロウバイの花が咲き始めました。ロウバイの花言葉は、「慈愛」です。

 ~ “教職員の皆さま、今年もどうかお元気で、ご健康で” と、願う日 ~  (勝)

(注1)「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」 金子みすゞ 著、矢崎節夫 選、JULA出版局、1984年8月発行、2020年9月再発行、107頁から引用。

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