歌の力

 本格的な夏が到来し、子どもたちが待ちに待った夏休みが訪れました。しかし、近年は局地的な大雨や猛烈な台風による自然災害が多発し、憂慮される時期でもあります。どうか事前の備えを万全に、無事故の夏休みを過ごしてほしいと願うばかりです。

 この時季になると、今でも心に蘇る光景があります。それは、校長として最初に着任した小学校でのことです。その日、猛烈な台風が接近していたため、小学校の講堂(体育館)が地域の避難場所になりました。そして夕刻、一人のご年配の女性がいち早く避難して来たのです。区役所の方もまだ来られていなかったので、私は様子を見るために講堂へと足を運びました。
 その女性は講堂の隅にポツンと座り、静かに前方を眺めておられました。そこには舞台があり、左右に『大阪市歌』と『校歌』の歌額が掲げられていました。それらを眺めていたのです。どんな思いを巡らせていたのかはわかりませんが、おそらく、両歌から心に響く何かを感じていたのだと思います。お声をかけることはしませんでしたが、思いを聞いておけばよかったのにと、今悔やまれてしかたがありません。なぜなら、その歌額が掲げられる過程で、学校の“熱い思い“が込められていたからです。

 大阪市立小学校では、入学式や卒業式、始業式や終業式を講堂で行い、そこで大阪市歌や校歌を歌います。そのため、子どもたちには日頃から、「歌詞を覚えましょう」「顔を上に向けて歌いましょう」と指導しましたが、低学年にとっては難しいことでした。その様子を見て、「そうだ、講堂舞台の左右の壁に『大阪市歌』と『校歌』の歌額を掲げよう!そうすれば、子どもたちは歌詞を覚える必要がなくなり、顔も自然に上を向くようになる!」とひらめいたのです。私は費用をどこから捻出するのかを悩んだ末に、地域の方にお願いしてみることにしました。
 さっそく連合町会長さんに相談したところ、地域の定例会で提案してみてはどうかということになりました。そして結果的に、地域で支援していただけることになったのです。地域の方との一連のやりとりは、費用の捻出のみならず、学校の“子どもへの熱い思い”を伝える絶好の機会にもなりました。「大阪市歌を、また校歌を子どもたちが堂々と歌い、大阪市や地域を愛する子どもになって欲しい」(今はコロナ禍で大きな声は出せませんが・・・)という学校の“熱い思い”が、地域の方々に浸透することにつながりました。歌額の費用捻出という話し合いを通し、子どもたちを育む学校方針を、お互いの共通理解にまで高めることができたのです。

 歌には国や民族、また、言語の壁を乗り越えて、あらゆる人々の心を結びつける力がある。環境や立場が違っても、それぞれの人々の心の奥へ、“直に響き、届いていくパワー”がある ─── 私は常々そう思ってきました。そして、歌には、苦しみ悲しみを乗り越える力もあるのです。最初に紹介した一人のご年配の女性は、講堂の舞台両脇に掲げられていた『大阪市歌』と『校歌』から、元気と勇気をもらったのではないかと思えてなりません。

 夏休みが終わりに近づくと、教育現場では新学期開始の準備とともに、2学期の学校行事や学校に関わる地域行事の検討に入ります。この地域行事で最大のイベントが「敬老大会」です。(コロナ禍で、ここ2年間は実施されていないと思われますが・・・)地域の方々は、民謡や詩吟、コーラスやダンスなどを披露して、ご年配の方への感謝と敬意の気持ちを表します。そしてプログラムの最後には、『ふるさと』等の懐かしい歌を全員で合唱するといったことが、しばしば行われています。
 『ふるさと』を歌っているご年配の皆さんの様子を眺めていますと、多くの方々が、涙ぐみながら歌っているのです。それぞれが自身のふるさとをイメージしながら、これまで歩んできた幾多の人生経験を回想しながらの大合唱です。会場がひとつになり、あふれる感動と一体感に包まれるこの時が、いちばん盛り上がります。
 毎年この光景を見て、歌には“いろいろな人々の心をひとつにする力”があると、しみじみと感じました。

 私が新任校長の研修会で、当時の教育次長に教えていただいたことが今でも忘れられません。
 「これから皆さんは、それぞれの学校へ赴任しますが、まず、校歌を覚えることです。校歌には、その学校の“思い”や“魂”が込められているからです」
 この言葉を心に抱き、私が校長を務めた全ての大阪市立小学校で、校歌に込められた“思い”や“魂”を大切にしてきました。そして、地域のご支援をいただいて、講堂内に『大阪市歌』と『校歌』の歌額を掲げました。

 感染症や戦禍等で不安の暗雲に覆われている今だからこそ、たとえ大きな声が出せなくとも、みんなで校歌を、心を込めて歌いたいものです。そして、人と人とがつながり合うことの大切さをコロナ禍で深く感じた子どもたちが、歌の力を発揮して世界を結んで欲しいと願わずにはおれません。

 ~ “心に太陽を、くちびるに歌を”と、口ずさむ日 ~  (勝)

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