「あいにく」という言葉

 梅雨のない北海道を除くすべての地域が梅雨入りし、雨中の紫陽花が美しい季節になりました。この時季になると、心に鮮明に浮かんでくる言葉があります。

 私が小学校の新任教員だった頃、学校には、あと数年で退職を迎えるK先生がおられました。K先生との出会いについては、以前このコラム(「小さなくつとK先生」 2020.12.18掲載)でも紹介しましたが、教務主任という重責を全うしながら、自ら希望して特別支援学級の担任もされた、子どもへの熱い思いを持った方でした。私は、教師としての生き方や授業の仕方など多くのことを教えていただきました。そして、それらが教師としての“原点”になったことを思うと、今でも感謝の念に堪えません。

 その学校で、私が6年生の担任をしていた時のことです。春の遠足の当日、雨のため遠足が延期になったのです。K先生は、私の学級の特別支援学級在籍児(特定教科以外の授業は原学級で学ぶ)の付添として、一緒に遠足に行ってもらう予定でした。
 「K先生、今日は“あいにくの雨”になり、遠足が延期になって残念です」
このように言ったところ、K先生から次のような言葉が返ってきました。
 「君は、雨で遠足が延期になったことを“あいにくの雨”になりと言ったが、雨であっても“あいにくの”という考えは良くないよ。雨にも意味があるということを、子どもに気づかせる絶好の機会と捉えることが大事なんだよ。人生は山あり谷ありだ。良いことばかりでは決してない。そのことを教える絶好の機会だよ。だからこそ、“あいにくの雨”ではなく“恵みの雨”と捉える生き方を教えることだよ。来年卒業を控えた6年生には、なおさらそのことを教えて欲しいと願うよ」
 山あり谷ありの、長い、長い教員生活を歩んでこられたK先生の、胸中からの叫びとも思える言葉でした。

 その後、私の担任時代には、遠足に限らず運動会や林間学校等、学校行事の時に雨の日が幾度かあったのですが、あの日のK先生の言葉が耳に残っており、「“あいにくの雨”ではなく“恵みの雨”」と捉えることを、子どもたちに語ったものでした。
 また、子どもにとっての“山あり谷あり”の“谷”とは、教科学習で理解できないことや、友だちや両親・家族など人とのコミュニーケーションがうまくとれないことであると、多くの子どもたちの姿から感じていました。そのため、子どもたちに試練・困難を恐れない力を育み、“谷”を渡らせてあげて“山”からの見事な絶景を実感させるのが、担任の責務であるとの思いになりました。そんな思いで子どもたちに語った日々が、今でも蘇ってきます。
 その思いは、担任時代に何度か経験した雨の卒業式の日でも語っていました。卒業式は、子どもたちが6年間の小学校生活を終え、未来へ羽ばたいていく“晴れの門出”の日です。式を終え、教室で担任として最後の言葉を、子どもたちに贈りました。
 「今日の雨は、皆さんのこれからの人生が試練・困難に遭遇する時がきっと訪れることを教えているのです。その時こそ、踏ん張って負けないで、見事に乗り越えて欲しいと願います。乗り越えた時に、より強く大きく成長するのです。今日は雨でも“晴れの門出”の日です」

 管理職になってからも、学校行事当日が雨ということがありましたが、その都度、教職員朝会の時に、「決して、子どもたちには“あいにくの雨”とは言わないでください」と語りました。ついつい子どもや保護者・地域の方に、“今日はあいにくの雨で”と言ってしまう言葉の慣れがあるのは事実ですが、言わないように心に期したのでした。
 その後、校長として勤めた2校では学校目標に、「“立ち向かい、乗り越える力“の育成」を掲げました。若き日にK先生が私に語ってくださり、私の心の奥底に流れ続けていた、「雨であっても“あいにくの”という考えは良くないよ。雨にも意味があるということを、子どもに気づかせる絶好の機会と捉えることが大事なんだよ」という言葉が淵源となっています。

 紫陽花の花をじっと見つめると、多くの小さな花々が集まってひとつの花になっていることに気づきます。それは、教育現場の教職員が心ひとつにして、子どものために汗を流している姿に見えてきます。雨中に鮮やかに咲く紫陽花は、“コロナなんかに負けないで、教職員の皆さん、頑張っていますね!”というエールを送っているようです。

 ~ “教職員の皆さん、応援しています!” と、声援を送る日 ~  (勝)

column_220621

皆さまの声をお聞かせください