信じ抜く慈愛

 “母の愛は、海よりも深く山よりも高い”
 長年教育現場に身を置いてきた私は、保護者である多くのお母さんと接する中で、この言葉の意味するところを肌で感じてきました。
 先日、かつて校長を務めた小学校の保護者のお母さんから嬉しい連絡が届きました。そのことについて、ご本人のお許しのもと、お話しいたします。

 その方のお子さんは、小学5年生の時に自閉症スペクトラム(ASD、特有の発達スタイルをもつ発達障害のひとつ)と診断されました。幼い頃は特に困ることもなかったのですが、年齢が上がるにつれてこだわりが強くなり、さまざまなことに過敏になっていきました。身のまわりに起こるいろいろなことに恐怖を感じ、頻繁にパニックに陥ったということです。また、対人関係では人を怖がるようになり、声をかけられるのも嫌がるようになったのでした。
 そんなお子さんに対し、お母さんも最初はどうすれば良いのか分からず戸惑うばかりでした。そんな中、病院の先生に相談したり発達障害について調べたりしながら、まずはお子さんを理解することから始めよう!徹して理解することに努めよう!そう心に期したのでした。

 しかし、なかなか思うようにはいきませんでした。小学生の時には、学校へ行くことを嫌がるお子さんに、何とか登校するように毎日のように声掛けをしたのですが、そのことがかえって本人のストレスになってしまいました。その上、東日本大震災など頻発する自然災害や、人と人との争いが連日のように報道されるのを見聞きし、ものごとに対する恐怖心が次第に大きくなっていったのです。
 中学生になってからはコロナ禍が拍車をかけ、ストレスや恐怖心がさらに増していきました。2年生の秋ごろからは、暴れたり、自ら頭を叩いたり、頭をテーブルに打ちつけたりするなど、自虐的な行為を起こすようになっていました。それをお母さんが止めようとしても、また、あえてしばらく様子を見ていてもひどくなるばかりだったのです。お子さんは泣きながら、「こんな世の中に生まれてきたくなかった」「僕なんか生まれてきたらアカンかったんや、生まれてきてごめん」と言うこともあったのです。そんな時は、親子二人で、ただ大泣きして過ごすしかなかったのでした。

 こんな辛くて苦しい“冬のような日々”が続き、お母さんは何度も逃げ出したいという気持ちにさいなまれたのでした。しかし、その都度お母さんを支えたのは、「今は真冬のような日々だけど、“冬は必ず確実に、絶対に春になる”」との、強い、強い、信念でした。また、「我が子にも、まだ開花していない無限の可能性がある」という、我が子を信じ抜く慈しみの愛でした。そして、多くの方々の応援・支援に囲まれながら、お子さんとの言うに言われぬ葛藤の毎日を闘っていったのでした。
 それから4ヶ月ほど経った頃です。何と、お子さんが暴れることがなくなり、地獄のような苦しみが“パッ”と消えたのです。お母さんの我が子を思う深くて強い、強い、慈愛が、お子さんに届いたのでした。

 こうして、苦しみながらも大きな壁を乗り越えることができたのですが、再び試練が襲ってきました。それは、お子さんが中学3年生になり、高校受験が迫ってきたことによるものでした。まわりの同級生たちは、自分で高校の情報を調べたり説明会に参加したりしていたのですが、お子さんはそのどちらもできなかったのです。それに加えて、先のことを考えると、また不安でパニックに陥るのでした。
 そこでお母さんは、不登校や発達障害の子を受け入れてくれる通信制の高校を調べ、いくつかの学校の説明会に一人で足を運びました。そして、そこで知り得た各学校の特色を、お子さんが落ち着いている時を見計らって伝えるようにしたのです。この時、「どうか、我が子に合った高校が見つかりますように」という、“祈りの心境”で伝えたというのです。
 お母さんの必死の“祈りの心境”が通じたのか、お子さんは、ある高校を選びました。「高校へは行きたくない」というのが本当の気持ちだったようですが、スクーリングとテスト以外は、家で好きな時に勉強できるということに魅力に感じたのです。

 さて、希望する高校を選んだのですが、次のハードルは、面接試験を受けることでした。進学したいと思うようになってくれたものの、受験会場の学校に行って面接官と話をすることへの恐怖心が湧いてきたのです。この両方の気持ちの中で、お子さんの葛藤が始まったのです。面接可能日はいくつかあったのですが、日に日に面接を受けることへの恐怖心が大きくなり、ついに最終日を残すのみになってしまったのです。
 そして、最後の面接日を迎えました。しかし、面接の時間になっても、お子さんは布団から出ることができなかったのです。前日には不安がひどくなり、イライラで頭を叩いたりしている状態でした。「もう無理か」 ─── お母さんはあきらめの心境になったのですが、その時、学校から電話があったのです。その内容は、「今回は新入生が多く、定員がいっぱいなのですが、お宅のお子さんは前々から何度もやりとりをしていたので特別に面接をします」というものでした。思いもしていなかったラストチャンスが訪れたのです。
 その日に向け、面接で聞かれることや心構えについて、親子で何度も何度も話し合いました。もちろんその間もお子さんの心は揺れ動いたのですが、お母さんの“我が子を信じ抜く慈しみの愛”で、無事に受験面接を乗り越えることができました。そして、迎えた4月1日。見事、合格通知書が届いたのです。お母さんとお子さんとで勝ち取った合格通知書でした。

 お母さんは振り返り、しみじみと語られました。
 「今までしんどいことを避けていた息子が、恐怖心に負けずに挑戦してくれて、成長した姿を見ることができました。私自身、息子への接し方が変わり、息子のおかげで成長することができました。息子や支えていただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。子どもの可能性を信じ抜けば、必ず春はやってくる!」
 お母さんは今、「児童発達支援士」と「発達障害コミュニーケーションサポーター」の資格取得のために勉強を始められました。まだまだ理解されにくい自閉症スペクトラム。同じことで悩んでいる人たちに寄り添って、自らの経験をもとにして、少しでも希望や勇気を送れる人になりたいとの思いからです。このあまりにも美しく尊いお心を伺い、私は心で泣きました。

 新緑が輝き、風薫る季節の到来です。この新緑の輝き、風の薫りは、親子で乗り越えた“笑顔”のように思えてなりません。

 ~ “可能性を信じ抜く慈愛”が、心奥に響く日 ~  (勝)

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