伴走者

 春が到来しました。春の花々が咲き乱れています。教育現場にも、新入生が入学して春が訪れました。
 「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。この台の上の花を見てください。小さな花や大きな花、赤い花や黄色い花等、いろいろな花が咲いていますね。それぞれの花たちの大きさや色は違っていますが、このようにひとつの花瓶に入ると、全体が明るく美しいですね。いや、違っているから美しいのです。皆さんの特性、持ち味は一人ひとり違いますが、だからこそ、皆さんの心がひとつになれば、明るく素晴らしい学級に、学年になるのです・・・・・・」
 これは、私が校長を務めた小学校の入学式で、「校長お祝の言葉」の冒頭でいつも語っていた言葉です。“みんなちがって、みんないい”(注1)とは、詩人・金子みすゞさんが残した言葉ですが、私は“みんなちがうからこそ、学校はすばらしい”と、いつも思ってきました。

 入学式が終わった後、ある新入生のご両親が、子どもと一緒に校長室を訪れたことがあります。お母さまとはすでに入学式までにお会いしており、その子が幼稚園で周りの子どもたちとの関係をうまく築くことができず幾度かトラブルを起こしていたことや、小学校ではそうあってほしくないとのお気持ちを伺っていました。それを受け、学校に“配慮してほしい”ことについて、入学前に何度も打ち合わせを重ねてきました。その結果、入学式はトラブルを起こすことなく無事に終えることができました。
 ご両親が揃って校長室を訪れたのは、そのお礼とともに、これから始まる小学校生活を子どもがスムーズに送れるようにとの願いからでした。この時のお父さまの言葉が、今なお心に深く刻まれています。
 「私たちは、この子と一緒に成長しようと思っています。確かに幼稚園では、何度か友だちとのトラブルを起こしました。しかし、トラブルは、この子の“訴え”であり“メッセージ”だったことに、最近やっと気づいたのです。そう思うと、この子に教えられたことも多々ありました。この子の良さがわかってきました。今後も、トラブルを起こす恐れがありますが、私たちはしっかりとこの子を支え、見守っていきますので、どうか、学校としても、あたたかい眼差しで支え、見守っていだだきますようお願いいたします」
 このように話されると、深く、深く、頭を下げられたのです。私は、ご両親のあまりにも尊い姿に、お父さんの手を握りながら言いました。
 「そんなに頭を下げないでください。お子さんをあたたかい眼差しで支え、見守っていくのは当然です。お子さんが立派に成長するように、教職員一同、力を合わせていきます。どうかご安心ください」
 その時、お父さんの目に光るものがあったのを忘れられません。

 北京2022冬季パラリンピックのアルペンスキー競技で、視覚障害選手のスーパー大回転を見ていて、驚きとともに感動を覚えたのは、選手の見事な滑降とともに、「目の役割」として声をかけながら先導する「伴走者」の存在でした。選手と伴走者は、まさに“一心同体の競技者”として、私の脳裏に焼きつきました。ふたりの息の合った見事な滑降を見ていると、どちらが選手でどちらが伴走者かが分からなくなりました。互いに共鳴し合い、支え合っている光景として映りました。その光景から私は、“これこそ教育の真髄だ”と心の深いところで感じたのです。選手と伴走者の見事な滑降と、あの入学式後のご両親の言葉とが、ぴったりと重なったのです。

 その後、ご両親と一緒に校長室を訪れた子には、幾度となくトラブルがあったのは事実です。しかし、ご両親と学校とが“良き伴走者”となり、一進一退を繰り返しながらも、チームワークでひとつひとつ粘り強く乗り越えていったのです。

チューリップ

 春の日差しのもと、いよいよ希望あふれる新年度が始まりました。子どもたちのそれぞれの可能性開花のために、学校では教職員が、家庭では保護者が、そして、地域では子どもたちを見守ってくださる方々が、“良き伴走者”として、この一年、子どもたちと一緒に、時には笑い泣き合いながら、時には支え合いながら、ともに走り抜いていきたいものです。さあ!スタートです!

 ~ 可能性の花々が咲き薫るこの一年にと、願う日 ~  (勝)

(注1)「金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと」 金子みすゞ 著、矢崎節夫 選、JULA出版局、1984年8月発行、2020年9月再発行、107頁から引用。

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