師走の声を聞きくと教育現場でも慌ただしさが増してきますが、私は、小学校に勤務していたときに接した3人の子どものことが脳裏に浮かんできます。
1人目の子は、私が6年生の担任時代の子です。その年の秋、1人の転入生がお父さんと一緒に学校に来ました。その子のお母さんは外国の方で、お父さんとともにその国で暮らしていたのですが、お母さんが亡くなられて日本で暮らすことになったとのことでした。その子は、たどたどしい日本語でしたが、クラスのみんなから助けてもらいながら楽しい学校生活を送っていました。ところが、転入してから1ヶ月後にお父さんが病で亡くなり、天涯孤独になってしまったのです。早速、教育委員会や行政と連絡を取り合い、その子の今後について検討を重ねました。その結果、お母さんの母国の親戚の家で引き取られることになったのです。わずか1ヶ月ほどの日本での学校生活を終え、母国に帰るまでの間は児童相談所で生活をすることになったのです。
その子が児童相談所へ行く12月のある日、私は付き添って行きました。今でも忘れられないのは、児童相談所の前まで来た時、その子は私の顔を見ながら「先生さようなら、ありがとうございました」と、たどたどしい日本語でひとこと言って、出迎えていただいた所員の方と一緒に相談所の門をくぐり中に入っていった表情と後ろ姿です。私は心で泣きながら、「元気で、がんばりや!」と言うのが精いっぱいでした。
その後、その子のランドセルが教室に置き忘れになっているのが分かり、国際郵便でその子の外国の住所へ送りました。しかしランドセルは、その子の元に届くことはありませんでした。その国ではランドセルは高価なものであり、輸送途中で無くなることがよくあるということでした。
2人目の子は、私が教頭時代の子です。小学校には「徴収金(給食費、その他の費用)」というのがあり、毎月口座より引き落とされるのですが、いろいろな事情で、どうしても納入が滞る家庭がありました。その家庭には、何度かは手紙で連絡はするもののいっこうに返事はなく、12月のある日、校長からの依頼で直接にその家庭に出向くことになったのです。
保護者の方が在宅していることを願い、夜に訪問しました。「こんばんは、○○小学校の教頭ですが、お父さんかお母さんはいますか」と玄関先で挨拶したところ、出てきたのは中学年の子どもでした。「お母さんは、今、いません」とその子は言ったのですが、その子の眼を見ると、家の奥に保護者の方がおられるであろうことが分かったのです。真っ白で素直な心を持った小学校の中学年です。眼からその子の気持ちがしっかりと読み取れました。その子の気持ちを考えて、私はすぐにその場を立ち去りました。
各家庭にはそれぞれの事情があり、どうしようもない状況に置かれている場合があることも仕方のないことだと思います。ただ、外国へ転校した子も、玄関で対応した子も、子ども自身が“心を痛めていた”ことは事実です。小学校の子どもにとっては、あまりにも“深く心に刻まれた悲しみ”であったと、今でも忘れることができません。
国連で「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」が採択されて、32年が経ちました。この条約の誕生により、これまで「守られるだけの存在」として見られていた子どもを、大人と同様に「人権があり、尊重されるべき一人の人間」と捉えるようになりました。これまでの「子ども観」を一変させたと言っても過言ではありません。
子どもも社会の中で、そして各家庭の中で生活している以上、その影響を少なからず受けることは当然です。しかしこれからの社会ではどのような状況であれ、“子どもが子どもらしく生きること”、“子どもが十分な教育を受けられること”が、すべての子どもにおいて尊重され大切にされるのを基本とすることが、非常に大事であると痛感します。子どもの権利条約が、世の中にしっかりと根づくことを切に願います。
そして、3人目の子です。複雑な重い心境で、“保護者不在家庭”を後にして夜道を歩いていると、塾帰りの低学年の子がお母さんと一緒に、向こうから歩いてきました。「教頭先生、こんばんは!」との笑顔で元気な子どもの言葉の後に、「いつも、お世話になっています」と、穏やかな表情で言われたお母さんの言葉。私は、この短く掛けられた何気ない言葉によって、元気と勇気が蘇ってきたのを覚えています。「そうだ、私は、この子のような子どもの笑顔をつくるために教師になったんだ!」との思いが、心の奥底から突き上げてきたのです。このとき、夜道で会った低学年の子から、“起死回生”の元気と勇気をもらったのです。そして、“子ども中心の学校”を築きたいとの決意が湧いてきたのを、今でも鮮明に覚えています。
百年に一度と言われる未曽有の困難・試練の中、教育現場で毎日、いや日夜奮闘されている教職員はじめ、保護者、地域の皆さま方、今年も本当に本当にご苦労さまでした。心からお疲れさまでしたと申しあげます。まもなく一年が終わり、新しい年を迎えますが、どうか明年もよろしくお願いいたします。
~ “明年こそは、コロナの終息を”と、祈る日 ~ (勝)