~ 今こそ、学校・家庭・地域での豊かな人間関係づくりを ~
「この度、縁ありまして、この学校に着任することになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします。」とは、新たな学校へ赴任した際によく言われる挨拶ですが、この「縁」という言葉には、“この職場で巡り合った人と豊かな人間関係を結びたい”との心情が込められているのではないでしょうか。
それは、私が教員として駆け出しだった頃のことです。授業を行っている時間帯でしたが、事前の連絡もなく保護者の方がお見えになられたのです。自分の子どもと学級の子どもたちとの関係のことで悩まれた末、止むに止まれぬ気持ちで、直に担任である私に訴えに来られたのです。授業中ということもあり、放課後にお宅へ伺うことを約束して、とりあえず帰ってもらいました。授業を終えた後、早速、その旨を教頭へ報告したのですが、「じゃあ、君、行ってきなさい」との言葉だけでした。今ではこのような事案が発生したときには、教頭もしくは副校長同伴で伺うものですが、駆け出しの私は、“いったいどのように話せばいいのか”と悶々とした暗い気持ちで保護者のお宅へ向かったことが、今でも鮮明に思い出されます。玄関のドアを開ける瞬間が、一番の鼓動のピークでした。恐る恐るドアノブを引くと、そこで返ってきた言葉は意外でした。
「先生、よくぞ一人で来られたね。まあ、上がってください。」
「先生が一人でやって来られたというだけでもう十分です。私は先生を信頼します。私の子どもを、どうぞよろしくお願いします。」
この言葉とともに、手土産もいただいたのです。私は学校への帰路、つくづくと思いました。“勇気を出して直接会って、言葉を交わすことがいかに大事であるか” そして、“直接会って、言葉を交わすことで、どんな人とも思いもしなかった望ましい関係が築かれる”と。
その後の教員生活でも、保護者・地域、そして教職員の方々との人間関係で悩むことが幾度となくありました。しかし、この時の経験が支えになってその都度乗り越えることができ、以前よりも豊かな人間関係を築くことができたのです。
“人との出会いは、単に偶然ではなく意味のあることだ” いや、もっと積極的に“この人と出会うのは、必然であり、出会うべくして出会ったのだ”と思うと、不思議なことに、相手がどんな人であっても“いとおしさ”が感じられ、心の壁を破るエネルギーが出て、相手をも包み込む心情が湧いてくるのを実感したのです。“偶然と必然”── 人との出会いに対する、この意識の持ち方の違いは、実はものすごく重要なことだと感じています。
人は、自分と気が合う人とは話しやすいものです。反対に、考えが合わない人や自分の性格とは真逆の人とは距離を置いてしまいがちです。しかし実は、自分と考えや性格の違う人こそが、最も自分を成長させてくれる人なのではないでしょうか。“人は人によって磨かれる”は、私の座右の銘でもあります。
自分の顔や姿等の外面は、鏡を通して見ることができます。同様に、自分の性格や特質等の内面は、周りの人の評価を通して知ることができるのではないでしょうか。さらに、身の周りに鏡を多く置けば置くほど、自分の外面の全体像が見えてくるように、周りの人との豊かな人間関係を多く築けば築くほど、自分の内面の全体像が見えてくるのではないでしょうか。
子ども中心の教育活動を創造するといっても、保護者・地域、そして教職員の方々と心をひとつにして取り組むことなくしては成し遂げられません。心をひとつにするカギは、“人との出会いは必然”との考え方を心の中に据えることだと思います。
人との距離に神経を使うコロナ禍の今だからこそ、心の距離は広げない“人との出会いは必然”との考え方が浸透してほしいと願わずにはおれません。
「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。」(注1)
(勝)
(注1)「人間の土地」 サン=テグジュペリ 著、堀口大學 訳、新潮文庫、1955年4月発行、2012年12月 84刷改版、2015年6月 87刷、45頁から引用。
※未来Watch2021夏号に掲載。