まだまだ厳しいコロナ禍の中、日々の教育現場での奮闘、本当にご苦労様です。どうか、心身共にご健康でと切に願います。こんな時だからこそ、教職員の心と心が“うるわしい絆”で結ばれた団結が必要であると痛感します。
それは、私が小学校の学級担任をしていた頃のことです。かつて卒業させた子どもたちが10年の時を経て同窓会を開き、私も呼ばれました。集まった卒業生たちは、大学生になっている人もいれば就職している人もいて、立場はいろいろでした。10年という歳月が経っていましたが、当時の面影や記憶がまだ残っており、卒業写真を見ながらの思い出ばなしに大いに盛り上がりました。
そんな中、私は一人の女性(Aさん)のことを気掛かりに思っていました。小学校時代のAさんは、どういうわけかクラスの集団から取り残された存在になっていたからです。そのため、私は毎日Aさんへの言葉かけを怠りませんでした。そして、その日の学級での嬉しい出来事や悲しい出来事を互いに発言し合って、もやもやした気持ちを明日へ持ち込まないための「終わりの会」をしたり、クラス児童全員と私とで「交換日記」を行って、私と一人ひとりの子どもたちと心の交流を図ったりしました。しかし、私の教師としての力量不足から、Aさんの学級での居心地は決して満足いくものにならないまま、Aさんは卒業していったのです。
同窓会の日、Aさんも出席していました。Aさんは私に近づいて来て、「先生が私のためにいつも声かけしていただいたことは、忘れていません。ありがとうございました。おかげで、その後、無事に中学校生活も終えることができました」との、短いながらも心情あふれる言葉をいただいたのを、今も鮮明に覚えています。私は、心で泣きました。そして、その人のために“誰よりも真剣に、誰よりも悩んで心労を尽くした”ことは、時間はかかっても、いつか必ず相手に通じるということをしみじみと感じたのです。Aさんとの再会を通して心に沁み込んだ、「他者の立場になって心労を尽くす」という信条が、教諭や管理職としての私のその後の人生を貫いていきました。
さて、このコロナ禍は、人としての大切なものにあらためて気づかせてくれました。それは「他者の立場に立つ」という、自分以外の人、相手を尊重する意識です。そしてまた、世界中が同時進行で同じ試練に立ち向かっている最中にあって、自分だけの幸せな生活などありえないことに気づかせてくれました。「他者の立場に立つ」という意識を持った振る舞いが、鏡のように反射して「自分の幸せ」につながっていくのです。
私は思います。かって学歴一辺倒であった日本社会ですが、そこで起こったさまざまな問題を解決しようと、現在では実力に目を向けた改革が試みられています。しかし、学歴社会でも、実力社会であっても、依然として「置き去りにされる人」がいるのです。公正かつ公平で、人々に優しく平和な世の中を希求する上で、どんな立場の人であっても「誰も置き去りにしない」という人権社会を、私たちはめざす必要があるのではないでしょうか。
そしてまた、その具体的で日常的な行動となると、まだまだ多くの課題を解決しなければならないのが現状だと感じます。私は、人権感覚あふれる日常的な行動のひとつが、「他者の立場に立つ」という意識だと思っています。それも、“漠然とした相手“ではなく“目の前の一人”への意識が大事であると思います。さらに、身近な存在である“半径5メートルの周りの人”への意識へと広げていくことが、日常的な行動の具体的な姿ではないでしょうか。“目の前の一人”から“半径5メートルの周りの人”へ意識を広げていく、この意識こそが人権感覚を身につける上での大切なことだと考えます。“目の前の一人”、“半径5メートルの周りの人”は、自分にとっては最も大切な人ではないでしょうか。
海よりも雄大で深いものがある、それは心です。空よりも高く広いものがある、それは心です。心は目には見えないが、無限に広がり高まり深まっていく可能性を秘めています。自分の心の中にどれだけのたくさんの“他者の立場”を入れることができるのか。人権意識がより重視されるようになった今こそ、このことが大切だと思えてなりません。ましてや、未来に生きる子どもたちを育成する教育現場では、より一層、このことを深く心に銘記したいものです。
「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」
─ 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ より ─ (注1)
~ “人権の花咲く日常” を夢見る日 ~ (勝)
(注1)「星の王子さま」 サン=テグジュペリ著、河野万里子訳、新潮社、2006年4月発行、2017年6月 59刷、108頁から引用。