「さまざまの事おもひ出す櫻かな 芭蕉」 (注1)
冬の寒さに耐えた桜の花が、一斉に開花しました。桜は春の訪れを象徴する花ですが、昇進・転勤・退職など人事異動の季節、出会いと別れの象徴でもあります。そのため、教育現場に長く身をおいてきた私は、職場は変わらなくても、新学年担任、新しい役職等で、忙しさとともに不安な気持ちにもなったものです。桜満開のこの時期は、新出発の春を感じるさわやかさとともに、別れのもの悲しさを感じる複雑な心境になったのでした。毎年、いつ桜が咲き、いつ散ったのかもわからない思いで過ごしたことが今なお思い出されます。
それは、新任から7年が過ぎ、初めて転勤を迎えた3月末。新しい職場への期待とともに不安を先輩に報告した時のことです。先輩曰く「初めての転勤で、さあ、がんばろうという気持ちと不安な気持ちとが入り混じった複雑な心境だと思うよ。でも、ここで大事なことは、“どこの学校に行っても、子どもはみんな可能性を秘めている”ということを心の芯にドーンと据えることだ」との言葉でした。
確かに、学校によって、児童や家庭・地域の実態は違ってくる。また、職場の雰囲気も違ってくると言えます。しかし、変わらないものがあります。それは、“子どもに秘められた無限の可能性”です。これはどの教育現場であっても、共通の真理です。当然と言えば、あまりにも当然のことですが、実は、往々にして、この真理が、この時期の不安な気持ちや慌ただしさの中で、忘れられることがよくあります。
“行き詰った時は原点にかえれ”とよく言われますが、教育に携わる者の原点とは、“子ども中心”であり“子どもの可能性を信じる”ことに他なりません。
年度の変わり目のこの時期こそ、この“原点”を再確認して心の奥底にドーンと落とし込みたいものです。ましてや、このコロナ禍の中で感染拡大に気をつかいながらの新年度のスタートです。例年以上の深い気持ちで“原点”を見失わないようにしたいものです。
児童の可能性を開くために、寄り添いながら指導し支援するのは、学級担任であり教職員です。同様に教職員の可能性を開くために、寄り添いながら指導し支援するのは、管理職であると、常々思ってきました。「管理」というと、ともすれば“上から目線で管理する”とイメージされがちですが、“教職員一人ひとりの良さを活かして可能性を開く”のが、管理職の責務であると思ってきました。
“学級担任や教職員が子どものため、管理職が教職員のため”という風土が学校内に築かれる時、その学校の教職員組織は、見事なハーモニーを奏でるのではないでしょうか。そのハーモニーを聴きながら、子どもはまっすぐに育っていくと言えます。
さあ、新年度のスタートです。各学校から心の美しいハーモニーを奏でながらスタートして欲しいと願います。校庭の春の花々もそのハーモニーを聴きながらより一層、美しさを増していくことでしょう。
~ “心はずむスタートを!” と、切に願う日 ~ (勝)
(注1)国立国会図書館デジタルコレクション所蔵、「笈日記」、各務支考 著[他]、春陽堂、大正15年12月発行、2頁より引用。