私が新任教員として担任したのは、1年生の2学期からでした。その学校の児童数増加に伴い、2学期から急きょ学級増にする必要があったからでした。幼稚園から小学校への接続期にあたる1年生の指導は難しいといわれています。ましてや、2学期からの担任。それはそれは、毎日が悪戦苦闘の連続でした。朝は「さあ、今日も頑張るぞ!」と、元気よく授業に臨むものの、全てが終わった放課後は心身共にくたくたになり、「望んで教員になったが、現実は厳しいな」と、意気消沈するのでした。当時は躾などできない私でしたので、子どもたちが下校した教室内の散らかったゴミを拾ったり、机を整然と並び直したりする毎日でした。
ある日の放課後、靴箱の中の上靴をきっちりと揃え直している時、しみじみと思ったことがありました。「ああ、なんて小さなくつなのだろう。でも、このくつを履く一人ひとりは、かけがえのない命なのだ」と。小さなくつを通して、子どもたちの“かけがえのない命”を感じたのです。そして、その子どもたちの背後にある、保護者や家族の方々の“深い愛と熱い思い”も胸にひしひしと伝わってくるのでした。
思えば、この時の“小さなくつとの出会い”は、私の教員生活のスタートでした。それでも現実はそんなに甘くはありませんでした。一人ひとりの“命”や、保護者や家族の“愛と思い”を忘れないで日々奮闘はしたものの、やはり、悪戦苦闘の連続だったのです。
その学校では、あと数年で退職を迎えられるK先生が教務主任(学校運営を企画推進する重要な立場)をされていました。ところが、その方は、教務主任をしながら自ら願って、特別支援学級の担任もされていたのです。その上、いつも元気いっぱいで嬉々とした振る舞いでした。自分の学級だけで精いっぱいの私からは見れば、まさに“神業”でした。
それから数年が経ち、K先生の退職間際の3月、退職までに是非聞いておこうと思ったことがありました。それは、“神業”を支える“教育への熱い思い”でした。ある日の放課後、K先生が担任をされている特別支援学級の教室内で、「先生は、いつも、子どもたちをどのように思って接しているのですか」と伺ったところ、「私は、いつも子どもたちに、愛おしさを感じているのです。どんな子でもかわいいのです。抱きしめてあげたい心境なのです」との言葉が返ってきました。そして、教室内に掲示されていた特別支援学級の子どもたちの絵を、一つひとつ指さしながら、それぞれの絵の“よさ”をじっくりと語られました。その眼には、涙のようなものが光っていたのを覚えています。
さらに、若い私に“これだけは伝えておきたい”との思いで、次のような話をされました。
「教師として大切な事は、三つあると思います。一つ目は、『一人ひとりの独自性を見極め、尊重すること』です。と言っても、国語が苦手、算数が苦手と子どもは言うけれど、それは独自性ではない。教科の学力をつけるのは教師の責務です。ただ、理解のスピードは人それぞれ違ってきます。それが独自性なのです。富士山に登るルートは四つあるが、その登り方が独自性なんです。どの登り方でも頂上に着くわけです。二つ目は『子どもへの愛情は具体的な形で現す』ということです。子どもへの愛情といっても単なる精神論だけではだめです。教師の振る舞い、言葉使い、分かりやすい授業など、子ども一人ひとりを伸ばすための愛情が具体的な形で現れなければならないのです。そのためには、子ども一人ひとりの顔を思い浮かべながら、具体的な手立てを考える必要があります。私は、いつも子どもの写真を持っています(今は、個人情報保護の観点からできませんが)。そして、教師自身が常に自己を磨き、研鑽していくことが大切なのです。三つ目は、『成長し合える仲間をつくる』ということです。今言ったように研鑽をするにしても、一人ではなく、仲間みんなで研鑽し合うことです。また、子どもや保護者対応等、教育現場で悩んだ時に、仲間がいることほど心強いことはありません。この三つを、退職する私から、若い君に贈ります。」
新任時代の「小さなくつ」と「K先生」との出会いは、私の教員人生の“原点”となりました。山あり谷ありの40年間の教員生活を支えてくれました。
今、コロナ禍で、かつて経験したことのない試練が教育現場に押し寄せていますが、教師それぞれの教育の“原点”を見失うことなく、この試練に立ち向かっていってほしいと切に願います。(勝)