『教師の細道』第2回「トキメク時間」を増やそう(関西学院初等部 教諭 森川正樹)

〈1〉 教師の「時間」を奪う要因は・・・?
今回も見つめるのは教師の日常です。
しかし、ちょっと角度を変えて日常を見てみましょう。 

テーマは「時間」です。

教師は忙しい。
誰もがそう思っているのではないでしょうか。

しかし、果たして一番時間を割かなければいけない「授業」に、その時間を割いているでしょうか。

教師は授業で忙しくなるべきです。

しかし、忙しいのは別の要因かもしれません。私たちから時間を奪っているものは何なのか。少し考えてみましょう。

〈2〉 「待つ文化」が時間を奪う
職員作業。

様々な行事での作業や校内清掃など、職員作業の際に、もう作業が終わっているのに何となくそこにいなければならない感じがして何となくみんなでそこにいる。それで、結局しばらく時間がたって、「はい、解散です~」の声。これ、もどかしいですよね。

こういう時は作業のリーダーが声をかけておけば解決です。
「終了したら皆を待たずに終わってください」

もちろん、終わったら別の場所(部隊)を手伝って終了することもありますが、その時も何となくみんながまだその場所にいるから・・・と、何もせずに時間を浪費していることはありませんか・・・?

「待つ文化」はまだあります。

遠足や社会見学などの行事の場合です。各クラス1台ずつでバス移動というケースがありますよね。

最初に1組がバスで目的地に到着しました。その時、そのまま2組、3組を到着したエントランス広場で待つ、ということはありませんか。「ちゃんと全員揃うまで待ちますよ」という感じのケースです。

しかし、もちろん場合にもよりますが、わざわざ全員揃うまで待って行動を起こせば普通に混み合います。

1組が到着。そのまま見学を開始。またはそのまま部屋に入る。そのまま荷物整理・・・などと、到着したクラス(チーム)から行動を起こしてしまった方が多くの場合効率がいいのです。

帰ってくるときも同じ。

遠足で学校へ帰ってきても、到着したクラスから解散するのです。わざわざ待つ必要の無い場合がほとんどです。

そこにあるのは、「全員揃うまで待つ方が美しい」というような根拠の無い美学(思い込み)です。待たないだけで時間もできますし、その後の行動もすっきりとします。

先日こんなことがありました。

高速道路のサービスエリアで食事をしていたら、高校生の10数名の子たちが同じように食事をしに先生とフードコートに入ってきたのです。ちょうど私が食事を終える頃にその子たちの食事が出てきだしたのですが、食事を取りに行った子たちは他の子たちの食事が揃うまで待っているのです。

テーブルにはカツ丼や唐揚げ定食が並び出しているのですが、そのまま待っている。しかし、人数が10名以上いるので最初に食事が来た子と、最後に食事を取りに行った子の間にはそれなりのタイムラグが生じます。

アツアツの食事も冷めてしまうのです。果たしてここで、「全員揃う」ことを待つ必要があるのでしょうか。

逆に、アツアツで一番美味しいときに食べる方が、作ってくれた人たちに対して良い、という発想の方が美味しく食べられるし、作ってくれた人に対する礼儀として一番美味しいときに食べる、という食育にもなるのではないかと思います。

「食事が来た人から食べてください」
でいいと思うのです。

〈3〉 「みんなでやろう」が時間を奪う
これもまた何か作業をするときですが、何となく「みんなでやりましょう」的な空気になり、だらだらと作業をしてしまうことはないでしょうか?

みんなでわいわい楽しく作業するのもいいのですが、いつもいつもそうでなくてもいい。時間が空いているときに各自でこの日までにやっておきましょう、でいい場合もあると思います。

チーム力という言葉は聞こえはいいのですが、有効な授業行為を皆で共有し、授業力を高めていくのが教師としてのチーム力です。作業では無く、授業を通してチーム力を高めていきたいですよね。 

(4)「思い込み」が時間を奪う
各学校には、「個人懇談」という保護者の方と一対一で話す懇談会が設定されていると思います。その時の時間は何分くらいでしょうか。おそらく多くは10分や15分といったところではないでしょうか。長くても20分くらいかな。

しかし、かつて私の学校で「個人懇談の時間を30分にしたらどうでしょうか」という、ある先生の提案が議論になったことがあります。「そのほうがじっくりと保護者の方と話せると思うんです」と、その先生は述べていました。これは、理屈は間違っていないと思います。長い時間の方がじっくりと話せます。

しかし、個人懇談の設定時間を30分にしてしまったら、10名の保護者の方と話をするにも300分、すなわち5時間かかってしまいます。30名いたら15時間です。ちょっと考えられないですし、そもそも現実的に考えて、全員の児童の保護者と30分間も話すことができるのか、ということです。

毎日意欲的に頑張ってる子の保護者の方に対して、30分間も話すとなると、逆にこれはかなり難しいと思います。

共通の時間を30分にする必要はないのです。

時間をかけなければならない場合もあります。その時は保護者の方と相談して時間を変えればいい。懇談時間をその日の最後にもってきてじっくり話せばいいのです。

またこの考え方は、保護者の方にとってそもそも30分の懇談を望むのか、という発想が抜けています。長く話したい方にはその時間を取ればいい。

全員の保護者の方に対して30分の時間を設定するのは少し無茶なことなのです。

さて、このような例は懇談以外にも他のケースでもあるでしょう。それが正義、より深く向き合っているという思いがあるので余計に厄介です。反対したらやる気が無いと思われてしまう、という感情が浮かぶので反対しにくくなる。

しかし、大局観は大切です。良い塩梅あんばいというものがあります。

精力的に取り組める時間はどれくらいか。多くの人にとっての最適な時間とは?保護者の方の気持ちに立ってみる。どちらにも<持続可能>でなければなりません。

時間をかければより深くなる、という「思い込み」や、自分はそうだけれど全体的に考えたらあり?無し?といった「大局観」を持って、うまく「時間」を設定したいものです。

私たち教師の本分は、授業をすることです。

学校現場は、「授業」に割く時間が増えるような環境設定にしたいものです。そして、個人的な授業準備の時間を増やしたい。先生同士で授業について語り合える「時間」を増やしたい。ここは管理職の先生やリーダーとなる立場の先生の仕事、意識が大きく関わってきます。

教育の現場にはやるべきことがたくさんあります。先生も足りません。いかに「時間」を作り出すかが大切です。

授業に対してアレヤコレヤと思考を巡らす「時間」、それが何よりの教師の“トキメキ”です。
トキメク時間が増えるような現場にしていきたいですね。

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