平和の松明(たいまつ)

 新学期が始まり、早いもので1月も終わろうとしています。昨年末からインフルエンザが猛威をふるい、学級閉鎖や休校になった学校もあります。教職員の皆さまに置かれましては、年明けからご苦労されたこととお察しいたします。どうかこの一年、心身共に健康で実り多い年になりますよう、心より願っています。

 私が小学校で高学年の担任をしていた頃のことです。毎年3学期が始まると、新しい年になって「決意していることや願っていること」を子どもたちに発表させていました。
―── 私は、分数が得意ではないので、しっかり勉強したいと思います。
―── 僕は、本をあまり読んでいなかったので、今年は読書に挑戦します。
―── 僕は、先生の話をよく聞かないことが多いので、今年は集中して聞くようにします。

 このように、授業に関連する話が多く出てきました。しかし、ひとりの子が、それらとは少し異なる発表をしました。
―── このごろ、テレビで戦争のことがよく流れています。爆弾や戦車で人が殺されたり、街が破壊されたりするのはとても悲しいです。早く平和な世の中になって欲しいです。

 当時、湾岸戦争が激化する中で、ミサイルが飛び交う映像や、爆撃に追われる人々の悲惨な姿がテレビで連日報道されていました。それを目の当たりにして、『早く平和な世の中になってほしい』と発した言葉は、この子の心からの叫びであると強く感じました。

 この時の子どもたちの決意や願いを保護者に伝えようと考えました。ちょうどその頃、学級通信「雑草」を隔日で発行していました。できるだけリアルタイムに子どもたちの様子を保護者にお伝えするためです。ちなみに「雑草」というネーミングは、たくましく育ってほしいという意味を込めて命名したものです。さっそく、私はこの子の発言を取り上げて記事にしました。

―── 先日、新しい年になって「決意していることや願っていること」を子どもたちに発表してもらいました。その中に、戦争のない『平和な世の中』を求める純粋な気持ちを語った子がいました。連日、湾岸戦争の悲惨な状況が報道されていますが、この子が願う気持ちを、私たち大人がしっかり受け止める必要があると感じました。

 30余年が経った今、世界に目を向ければ、紛争が絶えない国や地域が多くあり、収束の目途も立っていません。その報道を耳にするたび、一日も早く平和な世界が訪れることを願わずにはいられません。そのためには、私たち大人が率先して平和の尊さを次世代に伝える“語り部”となり、次の世代がまた次の世代へと伝え続けていくことが必要だと思います。その“平和の松明”をリレーのようにつないでいくことで、平和で明るい未来が必ず切り拓かれると確信しています。

 兵庫県宝塚市出身の漫画家・手塚治虫は、青年時代に学徒動員で大阪の軍需工場に駆り出され、その後、大阪大空襲を経験しました。彼の作品には、「戦争と平和」をテーマにして描かれたものが多くありますが、根底にある彼自身の戦争体験が色濃く反映されていると感じます。

 彼は、エッセイ『ガラスの地球を救え 二十一世紀の君たちへ』の中で次のように述べています。
 「ぼくの作品、『アドルフに告ぐ』だけではなく、ほとんどの作品に描かれているテーマには、この悪夢のような記憶を、無意識に描いているものが多いのです。それは、ちょうど語り部のように、自分の体験を子どもたちに語って聞かせたい。そういう気持ちが動いているのでしょう」(注1)

 私は思います。「戦争を起こしたのは人間である。だから、人間が戦争を無くすことができないわけはない」と。手塚治虫もそのような思いで、多くの作品を遺したのだと思えてなりません。

 早くも、春を告げる梅の花が咲き始めました。寒風にも負けず凛と咲く梅の花を見ていると、平和を妨げようとする如何なるものにも負けず、“永久に崩れぬ平和の花”を、断じて咲かさなければならないという強い思いが湧いてきます。

 ~ “教育こそ、平和を築く要”と、あらためて痛感する日 ~  (勝)

(注1)「ガラスの地球を救え 二十一世紀の君たちへ」 手塚治虫 著、光文社、1996年9月・初版1刷発行、2024年6月・35刷発行、61頁から引用。

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